ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

議員定数削減 ――根拠のない「数合わせ」――

議員定数削減

――根拠のない「数合わせ」――

これも数合わせ

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またまた出てきました。議員数の削減です。自民党と維新の会が連立を組む名目として使っています。そしてマスコミの報道も、議員数削減が良いのかあるいは悪いのかの根拠とか、背後にあるべき議論は一切無視をして、とにかく議員数の削減は、多くの人が望んでいるんだ、これは社会全体を覆っている「空気」なんだとでも言わんばかりの取り上げ方です。

居眠り議員とかお金に汚い議員とか、悪い議員たちがたくさんいるから、定数を削減しよう、そうすれば悪徳議員たちはいなくなるだろうというような、漠然とした「期待」とでも言ったら良いような「空気」しか表には出てきません。「身を切る改革」というスローガンも、それを掲げている人たちは辞めないのですから、見掛け倒しです。

そしてお金を持っている裏金議員たちや、親や先祖の威光で当選してきた世襲議員たちも、削減される中には入らないでしょう。

でも議員削減の本質は、民主主義をどのような形で機能させるべきなのかという根本課題に対しての、実証的・客観的なデータを元にしての丁寧な議論によってのみ答が出る事柄だという点です。

その点を示すために、仮に議員数をどんどん減らして行けば、最後には国会議員が10人で日本の政治を取り仕切るというような話になってしまうことを考えて下さい。とんでもない話ですね。そんなことを想像する力くらいは日本社会がまだ持っていることを願っています。

実は、このことについて二年以上前に丁寧に論じていますので、ぜひ二回にわたるこのブログでの議論をお読み頂ければと思います。

もう一つ加えておきましょう。私は、アメリカの町や村で直接民主制が機能している様子を直接体験してきました。住民として、そして住民である親友の友人として。それを基に考えると、できるだけ多くの人が政治に直接参加できるようにすることで、政治は確実に良くなります。

それができないほどの規模になった場合は、議員を通してそれが実感できるようなシステムを作ることに私たちは力を注ぐべきだと考えています。それは単なる数合せで解決できる問題ではありませんし、その単なる数合わせが政治の目標になってはいけないのです。それが実体験からの教訓です。

何とも皮肉なことに、連立を組むに当ってはは、政治家もマスコミも「単なる数合わせではいけない」というお題目を唱えて、それがあたかも最優先の真理のようにあちこちで声高に発信されています。

その結果として政策協議だ合意だというカバーを掛けて、実際に自民党と維新が連立を作ろうとする根拠は、議員数削減という、究極の数合わせに持って行ってしまったのですが、これ以上ない皮肉です。

この皮肉に気が付いていて、それでも真面目に議論をしてるんでしょうか。お腹を抱えて笑いたいところですが、それだけでは日本の政治は良くなりません。皆さんどうすべきなのか一緒に考えてみて下さい。

 

皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!

[2025/10/19     人間イライザ]

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