ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

維新の会の言動 ――これが「身を切る」「お手本」?――

維新の会の言動

――これが「身を切る」「お手本」?――

他の人たちも真似する「お手本」

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日本維新の会の政策や政党としての姿勢に以前から違和感がありましたが、最近の報道を受けてさらに強い不信感を持つようになりました。

広く報道されていることですが、毎日新聞のウェッブ版が要領よくまとめてくれています。

さらに簡単に要約すれば、維新の会の藤田共同代表の秘書が会社を作り、藤田氏自身が選挙のポスターとかチラシをその会社に発注していたこと、またその会社から秘書が報酬を得ていたことが報じられています。

またその事実を報じた『赤旗』の記者の名刺をSNS上に晒して批判をしたことも、違法ではないかもしれませんけれども、少なくとも常識の範囲を超えています。

特にNHK党の立花党首がそれと同じような誹謗中傷によって逮捕された直後ですので、やはりSNS上で意図的に「晒される」側の迷惑や心理的負担、最悪の場合には命にまで影響が出るような行為については、こんなに軽々しくすべきことではないという点にも注目して下さい。

さて、私が違和感を持ち不信感にまで至った理由は上記の通りなのですが、その他にも、日本維新の会アイデンティティーそのものに関わっている点も指摘しなくてはなりません。一つは「身を切る改革」、そしてもう一つは「政治家自らが模範となる行動を示すことが不可欠」だいうホームページの記述です。

日本維新の会が、「自らが模範となって示している」のは、そして「身を切る改革」という意味は、広く報道されるに至ったように、秘書が会社を作って、そこに注文を出し、その会社から秘書が給料を受け取ることであり、それに対する批判をした人の情報を広く、SNS上で拡散をして犬笛を吹くということなのだと言われても仕方がありません。

日本維新の会が目指しているのは、そういう行動を社会全体として採用することなのでしょうか。それが「身を切る」という意味なのでしょうか?

身を切る改革の中には、日本維新の会の議員団が全国の被災地に多額の寄付をしていることも挙げられます。それは確かにお手本に値する行為だと思いますが、それだけに、その対極にあるような行動が、同時に維新の会のアイデンティティーであるという事実を私たちは厳しく受け止めるべきだと思います。

敢えて付け加えると、被災地への寄付は最初から公開が前提で、維新のPRのための行動であるのに対して、秘書の会社の存在やそこへの発注は、隠すとまでは言えなくても、広く多くの人に知って貰うための行為ではないようです。どちらが本音なのか、そして本音と体前をこんな風に使い分ける政党に我が国の未来を託して良いのかについて、もう一度考えるべきだとは言えるでしょう。

 

皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!

[2025/11/11   人間イライザ]

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AirPods Pro2のもう一つの効用 ――日記は付けなくても――

AirPods Pro2のもう一つの効用

――日記は付けなくても――

新幹線とノイズキャンセリング

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友人に勧められて、AirPods Pro2を補聴器の代りに使ってみた報告を9月にしました。その後ですが、必ずしもこのイヤホンを十分に使いこなしているとは言えません。でも先日新幹線の中で、考えても見なかった効用があり、懐かしい時間を過すことができました。(ハイパーリンクは右クリックして、新しいタブでお読み下さい。)

それを説明するためには、ずっと昔、若い頃のことから始めなくてはなりません。

小学生の時、夏休みの宿題に絵日記というのがありました。毎日の出来事を絵と文章で記録しておいて2学期が始まったときにそれを提出するのです。その絵日記が苦手でした。8月末、最後の最後になって何とか絵と文章をまとめあげた苦労を思い出します。

そんな苦手があってのことなのですが、アメリカ留学中に一大決心をしました。それは日記を付けないという、苦手からの決別宣言です。

きっかけになったのはレコードです。自分のお小遣いでレコードを買えるようになったのが、アメリカでの1年間の高校生活の時だったのです。その理由は、アメリカではレコードの値段が安かったこと、そして一定額のお小遣いを毎月貰えるシステムになっていたからです。

自分で買ったレコードを掛けて、好きな曲を何度も聴いているうちに気付いたことがありました。それは音楽を聴くと、それより前にその曲を聴いたときの情景や周りにいた人、そして会話まで、全部頭の中に再生できるということでした。

そこで日記が出てくるのが不思議なのですが、だったら日記を付ける代りにレコードを集めておいて、それをかければ昔のことが全部浮かび上がってくるのだから、もう日記は付けなくても良いだろうと考えたのです。

それから何十年。後悔しても、もう遅いのは十分に分っているのですが、今になって昔の記憶を呼び覚まそうとしても、斑模様になってしまったものがほとんどで、昔好きだった曲を聴いても、それに纏わる会話とか一緒にいた人たちのことなど思い出せる訳がありません。そんな当たり前のことを、高校生の時には想像もしなかったのですが、何と浅はかかつバカな人間だったのかと悔やまれて仕方がありません。遅きに失した感はありますが、ここ数年間は毎日、短く日記を付けています。

そして先日、東京に向かう新幹線の中でAirPods Pro2を使ってMy Favoritesと名付けた私の好きな曲を集めたプレイリストを聴きました。

補聴器としての使い方ではなく、外からの音を完全に遮ってくれるノイズキャンセリング機能を使いました。完璧に雑音が遮断され、音楽しか聞えない世界に入りました。

すると、ずいぶん昔、それこそ高校生の頃にハマっていた楽曲を聴いたり、大学院で勉強していたときに毎日のように聴いていた曲を再生したり、比較的最近良い曲だなぁと思ったメロディーを聴いたりしている内に、ずいぶん昔の感覚が身体に蘇ってきました。

昔の会話や周りの情景といった言語的、あるいは絵画的な記憶ではなく、昔その曲を聴いていたときに私が心の中で感じていたような「気持」、「情緒」と言ったら良いのかもしれませんが、昔こんなふうに感じていたんだなと思えるような気分や雰囲気をそのままその場で感じることができたのです。

言葉でその時に何が起きたのかを具体的に記す記録ではありませんが、あの時にこんな風に感じていたんだといった形の、感覚的情緒的な記憶が昔懐かしい楽曲で呼び覚まされたのだと思います。ノイズキャンセリングのお陰でもあります。

それがこれからも続くのかどうか分りません。でも日記を付けなかいという悔やまれる決定をしたにもかかわらず、ちょっぴり救いがあったことに感謝しつつ、懐かしい思い出に浸りながら東京まで過ごすことができました。

 

皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!

[2025/11/10   人間イライザ]

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台湾に向けて軍艦が出れば、日本が参戦? ――そんなに戦争がしたいのか――

台湾に向けて軍艦が出れば、日本が参戦?

――そんなに戦争がしたいのか――

クマ対策の方が緊急では

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衆議院予算委員会での高市総理の答弁で、「台湾に向けて某国が軍艦を出せば、それは存立危機事態である可能性」があるという趣旨の答弁をしました。詳しくは、産経新聞のディジタル版を御覧下さい。

この発言については問題点が多過ぎますので、ここではあまり他の方々が取り上げていないであろうに点のみ考えてみます。まずは、「存立危機事態」の定義です。「コトバンク」中の共同通信ニュース用語解説 「存立危機事態」の解説を引用します。

  存立危機事態

  自衛隊による集団的自衛権の行使が可能だと日本政府が判断する事態の呼称。安全
  保障関連法は「密接な関係にある他国への武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かさ
  れ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事
  態」と定義している。「国民を守るため他に適当な手段がない」「必要最小限度の
  実力行使にとどまる」と併せて「武力行使の新3要件」を満たす場合に、集団的自
  衛権の行使が認められる。

ここで問題になる「他国」とは、アメリカのこととしか考えられません。「台湾有事」と言っても、日本は中国を正式に認めている上、中国は台湾を中国の一部だと言っているのですから、中国が台湾を攻撃してもそれは、「密接な関係にある他国」が攻められたことにはならないはずだからです。

となると、「密接な関係にある他国」とはアメリカ以外には考えられません。そして、台湾が攻められたとしても、それがアメリカに対する武力攻撃であると断定するのには随分無理がありますよね。台湾にはアメリカの基地はありませんし、100人程度の軍人が派遣されているだけだからです。

「存立危機事態」の定義によると、「他国への武力攻撃」が原因で(と読むべきなのでしょうが、戦争したい人たちには別の解釈があり得るかも)、日本の国民の生命、自由、幸福の追求が脅かされるという結果が生じた場合に、日本が武力攻撃できるという規定なのですが、最後の日本国民に生じる脅威が、「軍艦の出動」にどうつながるのかは全く見えてきません。

それどころか、過去これまでの数十年に某国が軍艦を出動した結果として、日本国民の生命、自由、幸福の追求が脅かされた事例はありません。

「生命、自由、幸福の追求」というなら、早急に、クマ対策をすべきなのではありませんか。朝日新聞によると今年に入ってからだけでも、クマによる死者数は13人ですし、クマの出没も2万件を超えています。

地震や台風、豪雨等の自然災害についても、被害が生じてから腰を上げるだけの対策を抜本的に改めなくてはならないのと同じ次元でクマ対策も始めなくてはなりません。自治体の要請で自衛隊を派遣するだけではなく、人間社会に悪影響の及ばない形でのクマとの共生ができるシステムを作る時期が来ています。

もう一点、「存立危機事態」は、日米安保条約の枠内での概念だと思いますが、それが双務的なものなのかどうか、私たちはもう少し冷静に考えておくべきです。

高市総理の解釈だと、某国が軍艦を台湾に向けて出動させるとそれは我が国の国民の生命、自由、幸福の追求に対する脅威になり、自衛隊が出動という結果につながるというのがシナリオです。

では、思考実験として考えた場合、アメリカ軍が出動する場合はどんな場合なのでしょうか。某国が、日本の近くの国を攻撃したときに、アメリカがそれを自国民の生命、自由、幸福の追求への脅威だと考えて、アメリカ軍を出動させる可能性のある国とはどこなのでしょうか。

近くの国でその要件を満たすのは韓国、台湾(国という定義からは微妙ですが)くらいでしょうか。そして日本そのものですが、アメリカ国民の意識として、仮に日本が攻められたとして、それをアメリカ国民の生命、自由、幸福の追求への脅威と受け止めるのかどうか、大きな疑問符が付きます。

そんな全体像を描きながら、再度、日米安保について考え直さなくてはならない時期になっています。

 

皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!

[2025/11/9   人間イライザ]

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