無辜の民間人の命と生活
――かつては顧みられなくて当然でした――
昨日も確認しましたが、戦争で一番無視されるのが、無辜の市民や民間人、非戦闘員と呼ばれる人たちの命と生活です。それを守るためには、一日も早く停戦させなくてはなりません。
しかし、できるだけ早く停戦させることを目的として選ぶことと、一人一人の人間の命と生活を最優先することは矛盾します。どうすれば良いのでしょうか。戦争を容認する立場からの答は明白です。
4月13日にこのブログで取り上げた、ルメイ将軍は、3月9日から10日の東京大空襲について「一日でも早く戦争が終ったのであれば、この攻撃はその役割を果したことになる」と言っています。さらに、「当時、民間人の犠牲についての議論はほとんどなく、このような空襲について、目の当たりに見るような新聞記事を毎日のように目にしていたアメリカ人の間からも実質的には何の抗議もされなかった」とも記述されています。(出典『Realizing the Dream of Flight』139ページ)
では、このような空襲、つまりアメリカ側からの攻撃の犠牲になった側からは、どう考えればよいのでしょうか。
これも何度も引用していますが、この点をはっきり示している文書が、1980年12月に「原爆被爆者対策基本問題懇談会」、略して「基本懇」が発表した意見書です。日本政府ならびに日本社会を牛耳ってきた人たちの基本的な考え方を忠実に示している文書ですので、これに対抗する枠組みが我が国にしっかり定着するまで、打破すべき対象として繰り返し掲げます。
その最初の部分のコピーを再度掲げます。
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このような、戦争肯定とその被害に対する開き直りを、恥じることなく言語化した人たちが誰だったのかも記憶し続けなくてはなりません。
委員(全員故人)は、
茅誠司・東京大名誉教授(座長)
大河内一男・東京大名誉教授
緒方彰・NHK解説委員室顧問
久保田きぬ子・東北学院大教授
西村熊雄・元フランス大使
御園生圭輔・原子力安全委員会委員の7人
茅、大河内の二人は東大の総長を務めた人たちです。日本政治を動かしてきた官僚組織・制度や日本の思考の元となる学問の世界、その他にも財界や産業界等、いわゆるエスタブリッシュメントを構成するエリートたちを育ててきた人たちです。
日米で共通しているのは、「国」という存在が、一人一人の「人間」より優先される世界観です。
日米両国で、1945年、そして1980年には政府の考え方として、軽視されてきた民間人の命や生活は、ウクライナ戦争までには大きく変り、今や世界の世論が無辜の市民・民間人・非戦闘員に対するロシアの攻撃を指弾しています。一つの解釈として、人類が良い方向に進化しているとは考えられないでしょうか。
それに対するロシアの姿勢は、1945年のルメイ将軍とほとんど変わらないように見えます。そんな状況下、私たちには停戦のためにどんな提案ができるのでしょうか。
[2022/4/15 イライザ]
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