ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

シェルターは何を守るのか ――自己満足は守れます――

シェルターは何を守るのか

――自己満足は守れます――

でもシェルターはどう守る?

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《和田秀樹さんの違和感》

和田秀樹さんは御自分の持たれた違和感を、「アメリカの吐いた2大ウソ」という形で表したのですが、それを私流にまとめておきましょう。

一つ目は、人類の月面着陸ですが、これは今回は取り上げていません。もう一つは、投下時には「新型爆弾」と呼ばれていた原爆が、実は「大型爆弾」であり、ほとんどの死は「火傷」によるものだった。だから、シェルターを造っておくことでほとんどの被害は防げるはずだ、ということです。

今回は時間がありませんので、Fact-checkよりは、私の記憶と感想を優先してこの項を書くことにしました。

《シェルターは役に立つのか?

結論から述べると、あまり役に立ちません。それを①戦争中の経験、②『風が吹くとき』のストーリー、③「核の冬」と「核飢饉」の結論、④シェルターをどう守るのか、という4点から説明しておきましょう。

その前に、このどれを取ってみても、「シェルター」が役に立つ、という主張の背後にとんでもない「差別意識」の潜んでいることがハッキリします。それに付いても最後に触れたいと思います。

《防空壕は役に立たなかった》

終戦の時に私は2歳半でしたが、当時の記憶で鮮明に残っていることがいくつもあります。「そんなことは嘘だ」と断定されて、選挙の応援をしてくれていた人から絶交を言い渡された経験もあるのですが、人の記憶や経験は様々です。私の場合は、いくつもの記憶が鮮明にあるのですから仕方がありません。(でも最近の記憶が日常的に曖昧になっているのには弱っています。)

当時住んでいた千葉市も空襲を受けました。我が家もそうでしたが、近所の家でも「防空壕」を掘って備えていたところが何軒かありました。でも、私の憶えているのは、「空襲になったら、うちの防空壕に入るのよ」という母の言葉でした。

後で分ったことですが、ほとんどの家の防空壕は、単なる気休めに過ぎず、焼夷弾が一つくらい落ちたのなら防げても実際に爆弾が落ちれば一溜りもないような構造だったようです。

我が家の場合は、陸軍の将校でしたので、兵隊さんたちが軍の基準で防空壕を掘ってくれたようで、それなりの防空対策にはなっていたというのです。

《『風が吹くとき』》

世界的に核兵器の恐ろしさが共有された1980年初頭の漫画のタイトルです。イギリスのレイモンド・ブリッグズが1982年に発表し、世界的に共有された結果、シェルターの空しさも同時に共有された作品です。日本語訳もあり映画化もされていますので、絶御覧下さい。あらすじは、Wikipediaからの引用です。

老夫婦のジムとヒルダはジムの定年退職を機に、イギリスの片田舎の周囲に民家のない一軒家に引っ越し、年金生活をおくっていた。しかし、世界情勢は日に日に悪化の一途をたどっていく。ある日、東西陣営による戦争が勃発したことを知ったジムとヒルダは、政府が発行したパンフレットに従い、保存食の用意や屋内シェルターの製作といった準備を始める。

そして突然、ラジオから3分後に核ミサイル大陸間弾道ミサイル)が飛来すると告げられる。命からがらシェルターに逃げ込んだジムとヒルダは爆発の被害をかろうじて避けられたが、家の周りにあった施設は全て破壊されてしまう。ジムとヒルダは「もうすぐ救出作戦が行われる」と互いに励まし合いながら、それまでの間日常生活を再開しようとするが、彼ら自身も放射線によって蝕まれ、次第に衰弱していく。食料も水も尽きどん底の状態に陥った2人は、それでも救助の手が来ると信じて自らシェルターの中にこもって待ち続ける。ジムはヒルダを落ち着かせようとお祈りを捧げるが、うまく思い出せない。やがて、「もう、いいのよ…」とお祈りを止め、口を閉じるヒルダ。ジムは祈りを続けようとする。

次第に弱々しくなっていくジムの声がついに途絶え、沈黙のまま物語は幕を閉じる。

《「核の冬」と「核飢饉」》

これもWikipediaからの引用です。

核の冬(: nuclear winter)は、大気学者のリチャード・ターコ(英語版)や宇宙物理学者カール・セーガンらにより1983年に提唱された理論で、「核戦争によって地球上に大規模な環境変動が起きて人為的に氷期が発生する」というもの。

 

その後、この理論は下方修正されたのですが、「核飢饉」と呼ばれるシミュレーション結果が、それと同様の結果を予測しています。この部分の引用もWikipediaからです。

理論的予測では、核戦争の規模によるが、核爆発による浮遊微粒子は、大規模な都市火災によって発生する上昇気流に乗って成層圏にまで到達し、ジェット気流によって世界規模に拡散する。

例えばヨーロッパで限定核戦争が勃発しても、その被害は日本を含むアジア米国を巻き込むとされ、まして同理論が提唱された冷戦末期の中で米国・ソビエト連邦が核兵器で攻撃しあう事態となれば、間違いなく地球規模の環境破壊が起こると考えられた。

21世紀現在、核兵器が飛び交うような戦争は幸いにして起きていないため、この理論が真実かどうかはコンピュータシミュレーション上の予測値を見るしかない。ラトガース大学のアラン・ロボック(英語版)教授のシミュレーション(2019年)では、インドパキスタンの2国が核戦争に突入しただけでも、地表温度が2 - 5度は低下するなどの異常気象が最大10年は続き、世界的な食糧危機が訪れるという[5]。また、米ロ間の全面核戦争シナリオにおいては1年後のピーク時の日射量は平年の4割程度まで減少し、平年への回復には約10年要し、その結果、全球平均で2度以上の低下が9年間続き、低下がピークとなる2〜4年後には約9度もの低下し[6]、その結果、3億6000万人の直接被爆死に加え、50億人以上が餓死すると予測されている[7]

これらのシミュレーションでは、死者の大多数が「火傷」だということにはなっていないのです。大気中、成層圏等にまで舞い上がる粉塵や灰、煙等々によって太陽光が遮断され、大気の温度が下がるという点が問題なのです。これは、シェルターで解決するレベルの問題ではありません。

《シェルターを見学して学んだのは》

アメリカに住んでいた頃ですので、シェルター論議が盛んになったとき、ニューハンプシャー州だったと思いますが、実際にシェルターを造った人の家を訪ねて、シェルターの中も見せて貰ったことがあります。冒頭の絵のような構造でした。階段は斜めでした。その経験は多分『朝日ジャーナル』だったと思いますが、に掲載して貰ったような気がしています。

そのシェルターの持ち主のS氏は、そのことをとても誇りに思っていました。「これで、核戦争が起きたとしても自分たち家族は6か月は生き延びることができる」といった話でした。『風が吹くとき』は御覧になっていないようでした。

そして彼の最大の心配事は、他の多くの人たちがシェルターを造っていないことでした。

「核戦争が起き、自分たちの家がなくなってしまった人たちは、やがて食べ物を探して私たちのシェルターに辿り着くだろう、その数はどのくらいになるか分らない。銃を持って私たちのシェルターを襲うことになるかもしれない。その時のために、このシェルターにも、護衛用の銃や手りゅう弾を備えてある。さらに、シェルターを持っている私たちが共同でシェルターを守るための自衛組織も作ることにした」

言うではありませんか。

この時のことを思い出して、現在の状況に当てはめてみると、恐らく、トランプやイーロン・マスクはどこかにシェルターを持っているでしょう。でもそこに入れる人は限られたエリートや億万長者だけでしょう。そして、仮に生き残った人が食べ物を求めてそのシェルターまで辿り着いたにしろ、中には入れて貰えないでしょう。

戦争するかどうかの決定権のない子どもや社会的弱者を核戦争から救おう、という気持などどこにも見られないのがシェルターの議論の特徴です。差別意識がこれほどあからさまに前面に出てきているのに、それすら批判の対象にならない構造があるのです。

そして「核飢饉」という可能性の高いことを考えると、シェルターを持つことで地球規模の食糧危機から身を守ることはできません。だから、自己満足にはなっても、長期的には自分たちを守ってはくれないであろうことも理解できるはずです。解決策は核廃絶しかあり得ないのです。

 

皆様にとって今日一日が、好き日になることをお祈り致します。

[2026/4/22   人間イライザ]

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