先月のことになってしまいましたが、横浜での息子の大学卒業式に行ってきました。
自分の大学卒業式に出た記憶はないのですが、でも今回、出席して本当に良かったと思います。それにはいくつかの理由があります。
一つには、この写真では光ってしまって良く読めないかもしれませんが、式の名称が「卒業式」だったことです。大学になるとさすがに自主独立の気風が残っているのかもしれませんが、公立の小中学校では軒並み上から目線の「卒業証書授与式」、大学では「学位授与式」になってしまっているからです。ちなみにアメリカでは「commencement」です。意味は「始まり」ですが、卒業とは同時に、これからの新しい世界への出発点でもあることを強調している、学生目線の言葉です。
卒業生のための式なら、やはり「卒業式」でなくてはなりません。卒業式のプログラムにはそれがハッキリと書かれています。
そして「卒業証書授与式」には日の丸が付き物です。でも、慶應の卒業式には日の丸がありませんでした。その代りなのかどうかは分りませんが、正面に大きく掲げられていたのは、福沢諭吉の肖像画です。
さらに徹底していたのは、来賓や大学関係者の呼び方です。来賓祝辞を述べたのは、トヨタ自動車元代表取締役社長の渡部捷昭さんでしたが、紹介されたのは、「渡辺捷昭君」としてでした。卒業生だったからなのですが、慶應義塾では塾の創立者である福沢諭吉以外は、先生も学生・生徒も「君」付けが基本というのも気持の良い慣わしです。
渡辺「君」の祝辞にも感心しました。テーマは「integrity」、つまり、一貫性とか完全性という意味なのですが、渡辺さんの解釈は「一人の人間として筋が通っていること」でした。そして結びの言葉は、「世のため人のために恩返しをして欲しい」でした。会場の家族たちも聞き入る内容でした。
長谷山塾長の式辞も同じテーマでした。それは、二人とも福沢諭吉の精神を今の時代にしかも自分なりに解釈していたからだと思います。多様な人材の育成こそ今の時代の要請であるという認識の下、「独立自尊」を強調し、卒業生には、「どんな選択も全て正解」であることを贐の言葉として送ったのです。どんな選択をしても、それが過ちだと分るときが来るかもしれない、でも大切なのはそこで自らの選択からの方向転換をすることだ。それも含めて考えるときに、全ての選択は正解なのだ、という趣旨でした。若者に向けての、失敗を恐れず前に進むべしという積極的なメッセージでした。
「君が代」が演奏されたり歌われたりしなかったことも、清々しさの理由の一つでした。その代り、慶應義塾歌と慶應讃歌が演奏されましたし、卒業生の答辞のバックグラウンドには、名曲「丘の上」が奏でられました。
政治の場では数々の「式」と呼ばれる集りに出席しましたが、今回もそうだったように、若い人たちを主役に、理想に満ち、その若者を愛する多くの大人たちが集う場の雰囲気は、いつでも掛け替えのない爽やかさが特徴です。
[2019/4/15 イライザ]
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早いですね~ もう卒業されましたか。
受験前に高熱を出されたことを思い出しました。
投稿: ⑦パパ | 2019年4月16日 (火) 13時25分
「⑦パパ」様
良く覚えていて下さいました。あのときは本当に大変でしたが、無事卒業できてホッとしています。。
投稿: イライザ | 2019年4月16日 (火) 14時12分