#平和運動 の柱だった #物理学者
――#アインシュタイン #湯川秀樹 #朝永振一郎 がまず頭に浮かびます――
筑摩書房は唐木や臼井吉見らが設立しました。雑誌『展望』の出版社でもあります。
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わが国の平和運動の中で、ベ平連の果した役割については異論がないと思いますが、それと並行してベト数懇も頑張っていたことは、「数学人」にとっては励みになる事実ではないかと思います。
そして数学と言えば、当然物理学との関連抜きには語れないのですが、我が国だけではなく、世界的にも物理学者が平和運動のリーダーとしての役割を果したことも重要です。私の頭にまず浮かんだのは、アインシュタイン、湯川秀樹、朝永振一郎の三氏です。
この三人についてはもう少し詳しく論じなくてはならないのですが、例えばアインシュタインは、1939年にレオ・シラードの勧めでルーズベルト大統領に原爆開発の必要性を訴えた手紙を出しています。その後、1945年にはシラードがアインシュタインの仲介で、日本への原爆使用の懸念と戦後の核開発競争への懸念をルーズベルト大統領に伝えようとしましたが、ルーズベルトの急死でそれが読まれることはありませんでした。
しかし、1955年には、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルとともに世界の科学者11人に呼び掛けて、核兵器の廃絶と科学技術の平和利用を訴える宣言(ラッセル・アインシュタイン宣言と呼ばれる)を出し、それが切っ掛けとなって平和運動の重要な一翼を科学者が担うことになりました。
この宣言には湯川秀樹博士も名を連ねていますし、この宣言をフォローする形で開かれたパグウォッシュ会議には、湯川博士とともに、朝永振一郎博士も出席しています。
そこで、写真を掲げた『科学者の社会的責任についての覚え書』(筑摩書房、1980年。漢字は常用漢字に変えました)になるのですが、この覚書の中で唐木は、この三人の物理学者の社会的責任について論じています。当時はかなりの話題になり、それに対して物理学者の武谷三男博士が『科学者の社会的責任――核兵器に関して』(勁草書房、1982年)出て厳しい批判を繰り広げています。
長くなりますので、その紹介は追ってのことにします。(何度か「次回」という約束をしていますが、説明が長くなって、なかなかそこまで到達できていないこと、お詫びします。)
最後に皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!
[2023/12/7 人間イライザ]
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