憲法36条も死刑を禁止している
――「拷問」が「残虐さ」の例示に――

自由意思がなくなれば
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《拷問等禁止条約》
昨日の続きです。憲法36条が死刑を禁止しているという「証明」です。まず憲法第36条です。
第36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
あまり注目されてはいないようなのですが、ここで重要なのは、「拷問」が「残虐な刑罰」の例として挙げられていることです。「例」だとまでは言えないという読み方もあり得ますが、少なくとも並列して掲げられていますので、常識的にはその「残虐さ」については、同じか近いレベルだと考えられます。
この点については、1984年に国連で採択され、1987年に発効し、日本は10年以上遅れて1999年に批准した条約名とその内容からも明らかです。それは、「拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取り扱い又は刑罰に関する条約(拷問等禁止条約)」です。世界共通の理解として、拷問が「残虐な」で形容される行為の一部であることが示されています。
条約名には「他の」が入っていますので、この点はハッキリしているのですが、憲法36条には「他の」がありません。しかし、「及び」と並列している場合、それらが同じレベルの存在であることを示しているのが普通です。
この点については、拷問等禁止条約の文言による解釈を採用しておきましょう。そのことで、「残虐な刑罰」の輪郭がはっきりするからです。
さて、憲法36条が死刑を禁止している根拠は、「拷問」が禁止されていることにあります。そのために、「拷問」の定義を見ておきましょう。
《拷問とは》
Wikipediaによると、
「被害者(拷問を受ける者)の自由を奪った上で、肉体的・精神的に痛めつけることにより、相手の意思や尊厳を破壊し、加害者(拷問を行う側)の要求に従うように強要する事。特に拷問を受ける側の持つ情報を自白させる目的で行われる。」
戦後も残っていましたが、特に戦前には拷問が日常茶飯事のように繰り返されていたようです。小林多喜二や大杉栄など、拷問によって命を奪われた例も多くありました。新憲法が禁止するのは当然です。
拷問の特徴である非人間性・非人道性等があまりにも重いために、その咎を糾弾することが強調され、拷問の構成要素やその残虐性の由来については、必ずしも論考の対象にはなってこなかったような気がしていますが、ここでは「拷問」を、その目的と実行手段という二つの側面から考えてみます。
最終目的は、「加害者(拷問を行う側)の要求に従うように強要する事。特に拷問を受ける側の持つ情報を自白させる目的で行われる」です。より具体的に考えるために、思考実験として例えば、「核兵器についての秘密情報を得る」が目的だったとしましょう。被害者からすれば「秘密情報を渡す」です。
このようなケースは歴史的に実在したのですが、その場合はスパイとして、自らの意思で渡したのですから「拷問」にはなりません。「被害者(拷問を受ける者)の自由を奪った上で、肉体的・精神的に痛めつけることにより、相手の意思や尊厳を破壊」する必要はなかったからです。
その前の段階で、 (これも思考実験ですので実際にそうだったのかどうかとは関係なく) 「秘密を渡すことが世界平和のためになる」などという説得があり、そう信じて渡すことなどが可能性として考えられます。あるいは、「渡せば、何百万ドル渡す」と言われて、情報を「売る」という可能性なども、思考実験の一部としては考えられます。
《自由意思》
そのどちらも、「自由意思」、つまり自分の考えで選択し決定している点が、拷問とは違います。となると、「拷問」が問題になるのは、その結果として「自由意思」や「尊厳」を奪うことだ、と言って良いのではないでしょうか。これは「拷問」の通常の定義の中間的な結果として論じられている点ですが、「拷問」による「直接目的」だと再定義しておきましょう。
ここでもう一つ重要な限定を付ける必要があります。「自由意思の剥奪」、「尊厳の剥奪」は一時的で良いのです。自白させたり、情報を渡すよう強制してそれが成功すれば良いのですから、その後未来永劫に自由意思を持たなくさせるのが目的ではないのです。
整理しておくと、「拷問」とは、(ここでは死刑との関連での論考に限っていますので、物理的な面に限定して良いのですが)、物理的な暴力によって一時的に「自由意思」や「尊厳」を奪うことだと定義できるではありませんか。
自由意思がなくなれば、「加害者(拷問を行う側)の要求に従うように強要する事。特に拷問を受ける側の持つ情報を自白させる目的で行われる」ことなど、それこそ意のままにできるのですから、あえてその目的と関連付けなくても「拷問」の問題点は失われないではありませんか。
歴史的経緯とは独立した形で、「拷問」の本質をこう定義することで、「拷問の残虐性」についても、より論理的に考えられるようになります。その結果として、死刑が拷問などとは比べ物にならないくらい残虐であることも分ります。
《死刑禁止の証明》
最後に死刑が禁止されていることの証明です。拷問が、暴力的手段で一時的に、被害者の自由意思や尊厳を奪うことだと定義した上で、憲法36条を読むと、公務員がその拷問を行うことは「絶対に」「禁止」されているのですから、「一時的」ではなく、永遠に自由意思を奪うことが禁止されるのは当然なのです。
皆さんに納得して頂けたかどうか自信はありませんが、この議論をさらに深めて行きたいと考えています。皆さんからのコメントをお待ちしています。
皆様にとって、今日という一日が良き日になりますよう、祈っております。
[2026/6/6 人間イライザ]
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