ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

憲法前文は「おめでたい」か ――「おめでたい」のは高市総理――

憲法前文は「おめでたい」か

――「おめでたい」のは高市総理――

「諸国民」を「ドナルド」に変えてみると、問題の本質が分ります

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《「おめでたい一文」》

BSTBSの「報道特集」の憲法特番で、高市総理の憲法観を取り上げたとのことでしたので、アーカイブで視てみました。その中で特に注目すべきだと感じたのは、高市総理が2000年9月の衆院憲法調査会で、憲法の前文中の、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」を「おめでたい一文」と揶揄し、「改憲の機会があれば真っ先に変えようと思う」と明言したことです。

憲法とは、日本という国家の基本的考え方を示し、国民の権利を守り、権力者が暴走しないように縛りを掛けるという役割を持っています。日本では制度化されていませんが、本来なら、総理大臣や国会議員が就任する際に「この憲法を維持、保護、防御することを厳粛に誓う。」と宣誓すべきものなのです。

宣誓の重要性については、このブログで取り上げていますので、お読み頂ければ幸いです。[リンクは、最初に右クリック、そして左クリックで開いて下さい。]

国の基本的な考え方である「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」を、「おめでたい」という形容詞でしか感じられない人間に、日本の国会議員を務める資格もありませんし、ましてやそんな人が総理大臣になってはいけないことの証明になってしまっています。

自分の価値観にぴったりする別の国を探して、そこで政治家になることを勧めます。

とは言え、「おめでたい」と言ってしまう感性にも問題がありますので、今回はその言葉に焦点を合わせて、「おめでたい」とはどのようなことを指すのかのお手本を示しておきます。

《「諸国民」を「ドナルド」で置き換えると》

まず思い出して下さい。「おめでたい」と言った御本人は、トランプ大統領との会見で、「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだ」と言っています。この言葉を聞いて私の頭の中に浮んだのが次の一説です。

「平和を愛するドナルドの公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

憲法の中の文章を捩っただけですが、これほどピッタリ、高市総理の伝えたいことを言い表すのは難しいくらい完成度が高いのです。当然、こちらは、総理にとっては「おめでたい一文」ではありませんよね。

でも憲法の方は「おめでたい」のです。違いはどこにあるのでしょうか。もう一度比較して読んで下さい。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

結局、高市総理の「おめでたい」発言は、御本人の本質が現れたということに他なりません。憲法99条で遵守義務を課せられている総理大臣としての資質に欠けること、そして、「諸国民」の代りに「トランプ」だけしか視野に入らない狭い世界観では日本という国のトップは務まらないのです。簡単に言ってしまうと「おめでたい」のは御本人なのではないでしょうか。

 

様にとって今日一日が、良き一日になることをお祈りしています。

[2026/5/26   人間イライザ]

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