「憲法マジック」と子どもたち
――矛盾を教えないで済むことではない――

「憲法マジック」に負けてはいけない
ブログ激励のため、上のバナーをクリックして下さい
《数学人の集い》
一昨日5日の夜は、定例の数学人の集いをZoomで開きました。偶数月の第一日曜日の午後7時からです。今回は私が話題提供をしましたが、タイトルは「数学人として憲法を読もう」でした。
拙著『数学書として憲法を読む――前広島市長の憲法・天皇論――』の中でも取り上げた「憲法マジック」と、それが子どもたちにどのように教えられているのかをテーマにしたのですが、憲法をめぐる問題の複雑さに改めて気付かされました。
最初に私がどんなことを約1時間の間に伝えたかったのか、まとめておきます。すでにこのブログでは何回かにわたって取り上げてきたことですが、Zoomを通してリアルタイムでお話しできる貴重な機会でした。
お伝えしたかったのは、次の二つです。
(A) 憲法については、小生が「憲法マジック」と呼んでいる矛盾が存在する。
「憲法マジック」とは、条文には「○○は××だ」と書かれているのに、定説では「そうではない」ことにされている状態を表すと定義しました。「憲法マジック」が存在することは、99条や9条の実例があります。
(B) これは、子どもたちに知らされていないか、知らされていても、その事実をどう捉えれば良いのかまでは教えられていない。それで良いのですか、という問題提起をしたかったのです。
特に、9条以外の「憲法マジック」はあまり知られていませんので、まず、大切なところでこんなマジックがのさばっているんだという事実を多くの皆さんに知って頂くことから始めないといけないと思っているのです。
《これまでのブログ記事》
念のため、このブログで取り上げた記事のリストもアップしておきます。まず、3月22日には、子どもたちの意識調査の結果を取り上げましたし、[リンクは、右クリックしてから、左クリックして下さい]
次の23日には、憲法を教えなくてはならないことを確認しました。
そして24日には、9条があるのに自衛隊が存在する矛盾を教育の場ではどう教えているのだろうかについて考えました。
恐らくは「受験制度」を前面に押し出して、矛盾、つまり「憲法マジック」についてはうやむやにしてしまっているのだろうということが実態なのではないかと思います。となると、極端な言い方をすれば憲法が「紙っペラ」と同じになってしまっていたとしてもおかしくはありません。
その「紙っペラ」が守ろうしている人権は、「紙っペラ」の価値と同一視され、特に社会的に弱い立場にある人たちの人権がないがしろにされ、またごく普通に生活している人たちが自分たちの権利について考えることもあまりないという状態につながってしまっていてもおかしくはありません。
《「憲法マジック」を教えないと何が起きるか》
それだけではなく、「憲法マジック」を教えないことで、「事実」を無視しても良い、かつ「論理」を蔑ろにしても問題はないのだという考え方を伝えてしまいますので、それが次のような結果をもたらしたとしてもおかしくはありません。
- 何を「事実」と認めるのかの判断基準もその方法も分らない。
- 誰の言うことなら「事実」として認めて良いのかも分らない。
- 「忖度」しか残されていない。
- 「論理的」に考えるのではなく、「Fake News」に依存する。
- 他人が注目することで「自己愛」が満足。
特にこの点について、参加者の皆さんから活発な意見が出され、日本社会における「論理性」とは何か、そしてそのあり方についてどう捉えれば良いのか等について、とても良い勉強の機会になりました。改めて考え直してみたいと思っています。
それは、2月8日の選挙結果をより正確に理解して、これからの政治を改革するための一つの根拠を探すためだったのですが、日暮れて道遠しの感が強くなっています。
でも、「数学人の集い」はちょっと疲れましたが、やはり素晴らしい会です。
今日一日が皆様にとってよき日でありますよう、お祈り致します。
[2026/4/7 人間イライザ]
[お願い]
文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
