ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

憲法が「紙っぺら」になっているとしたら ――私たちの「権利」意識も変るのでは――

憲法が「紙っぺら」になっているとしたら

――私たちの「権利」意識も変るのでは――

労働組合の活動も貴重です

広島ブログ

ブログ激励のため、上のバナーをクリックして下さい

《少し極端な議論をしています》

受験という大義名分を盾に、「憲法マジック」のような矛盾をきちんと教えて来なかった我が国の教育を取り上げています。もう慣れっこになってしまっていることかもしれませんので、少しずつ極端な方に偏った表現をして警鐘を鳴らしている積りです。合理的、論理的な側面からは少し修正しつつお読み下さい。

中でも、一昨日アップしたように、憲法9条と自衛隊との間の大きな矛盾に焦点を合わせてきました。

子どもたちに憲法教育をするときの逃げ口上として、多くの子どもたちや保護者にも受け入れられる「受験制度を最優先する」考え方を持ち出すことは恐らく多くの現場で行われていることではないでしょうか。これは何も「憲法マジック」に限っての話ではないでしょう。そうなると憲法などは単なる紙切れになり、「意味のない」引き出しにしまわれてしまってもおかしくありません。

《少数者の権利》

そのような感覚で憲法や法律を受け止めている人たちが社会の多数派だとすると、憲法に掲げられている権利を尊重する社会的雰囲気が薄れても不思議ではあません。敢えて指摘するまでもないかもしれませんが、他者の権利と自分の権利という風に分けた時に、他者の権利に鈍感になる傾向が先に現れるであろうことも納得して頂けると思います。

さらに、日常の生活そのものにあまり波風が立たずに済んでいる多くの人々にとっては、自分の権利について特に誰かに言い立ててそれを守る必要が身近にはない状況です。ですから、自らの権利についても意図的に強制して考えるといったことでもしない限り、意識に上らないのが普通なのです。

そして、ニュース報道などで取り上げられている裁判やデモ等は、自分たちの権利が踏みにじられた人たちが圧倒的多数です。権利を意識するだけでなく失った権利を回復しなくてはならない状況に置かれている人たちです。「少数者の権利」と言っても良いかもしません。

《穏やかな人々》

日常の生活そのものにあまり波風が立たずに済んでいる多くの人々(仮に、「穏やかな人々」と呼びますが)そういった人たちが例えば物価高とか雇用の不安、あるいは結婚ができないといった社会の波に押し流されて困り始めたときに、どうするのかを考えてみました。

何か困りごとがあって、行政のどこかに相談していたとか、あるいは組合に入っていて相談する仕組みがすぐ近くにある場合は、頼るところが頭に浮ぶと思いますが、ほとんどの場合は、どこに頼って良いのか分らなくなっているのが今の社会ではないでしょうか。こう考えてくると、行政も大切なのですが、労働組合の役割の大切さを改めて強調したい気持です。

不安が解消されないままに、デマゴーグたちの耳に優しい言葉に惑わされて行くことにもなり兼ねません。そして、スケープゴートを非難する内に、自分と同じ不安を持つ人たちに囲まれて、その人たちに同調して行くことで仲間が増えた気になり、安心感を持つというシナリオが進行しているのかもしれません。

そんなに簡単にシナリオで十分説明できるはずはないのですが、第一近似としてまとめてみました。これを少しずつ精密に磨いて行きましょう。

 

今日一日が皆様にとってよき日でありますよう、お祈り致します。

[2026/3/26   人間イライザ]

[お願い]

文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。

広島ブログ