「体験のない者には分らない?」
――高橋昭博さんと山本亘さん――

潘基文国連事務総長(2010年当時、左)と高橋昭博氏(右)、真ん中は高橋氏夫人の史繪さん
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《戦争と平和の大矛盾》
戦争と平和を巡る大きな矛盾について考えています。戦争を体験した人たちが平和を求める、戦争を忌避すると言う図式は誰にでも理解できると思います。
同時に、平和な状態を長く続けるためには、大変な努力が必要なことも御理解頂けると思います。そして平和であることは、歴史的に振り返ってみても、必ずしも戦争を拒否するための十分条件にはなっていません。
そこで極端な議論を持ち出す人の中には――一見、合理的に見える主張なのですが――平和を確実に実現するためには、定期的に戦争を起すことが一番効果的だといった主張をする人さえ出てきてしまいます。
《想像力の重要性》
結論を言わずにこのまま議論を続けても良いのですが、それはフェアではありませんので、種明かしをしておきたいと思います。
実はここで忘れられているのが、「想像力」の重要性なのです。私たち人間は、実際に体験しないことであっても、頭の中で想像力を膨らませ、そしてこれまでの人生で感情を揺す振られるような様々な体験を元に、実際に戦争に遭った人たちの悲惨な体験や、絶対に繰り返してはいけないという強い思いを抱くことが可能なのです。
ある意味、教育の目的の一つは、このような「想像力」を涵養することにあるのではないでしょうか。
その点をさらに深く考えるために、今回は戦争一般ではなくて、「被爆体験」に絞って同じテーマについて考察を巡らせてみましょう。
そのために元原爆資料館の館長だった高橋昭博さんの著書『ヒロシマいのちの伝言』(平凡社、1995年刊) の188-189ページから、高橋さんの経験を抜き出してお読み頂ければと思います。
「被爆体験のない者には、ヒロシマは分からない。そう言ってはねつけられたら、いったいどうす ればいいんですか……」
俳優の山本亘(せん)さんは、真顔で私に詰め寄ってきた。70(昭和四十五)年、亘さんが俳優座の公演 で来広した時のことだ。亘さんとは原爆映画『ヒロシマの証人』に出演した兄の山本學さんを通じて 面識があったので、公演の後、被爆者仲間の吉川清さんが経営するスタンドバー「原始林」に誘った。 飲みながら話をしているうちに、大江健三郎さんの著書『ヒロシマ・ノート』が話題になった。私が まず切り出した。
「『ヒロシマ・ノ—ト』には、被爆者は強くて美しい存在として描かれているが、事実はそうではな いんです 被爆者にもエゴはあり、醜い面もたくさんある。世間に知られていない、ヒロシマのドロ ドロとした面も描くようにしなければ、原爆の本当の実態を伝えることにはならないのではないでし ょうか。『ヒロシマ・ノート』はヒロシマをきれいごとで書いているので、私は評価しません」
被爆者としての素直な感想を述べたつもりだったが、亘さんは「確かにそういう一面はあるかもしれませんが、私たち若者にとって、『ヒロシマ・ノート』はヒロシマ理解への貴重な入門書であり、 私は高く評価しています」と反論した。私はその反論に、冷たいひと言を返した。
「そうね。所詮、あの地獄を体験していない人には分かりっこありませんよ」
その言葉に対して、亘さんは詰め寄ってきたのだ。
「高橋さんから、そんな言葉を聞こうとは。そういう言われ方をすると、私たち若者はどうしたら いいんですか。懸命にヒロシマを知り、学ぼうと努めても、体験のない者は”分かりっこない”とはねつけられたら、どうしようもないじゃあないですか」
言葉は静かだったが、私はその裏に怒りのあることを感じ、ハッとした。これまで会った人たちは 「所詮、被爆体験のない人には」と言うと、誰もそれ以上の言葉を求めてはくれなかった。だが、考 えてみれば、亘さんの言う通りである。「分かりっこない」とはねつけたら、そこで一切が終わって しまうのだ。私は分かってもらう努力をしなかった、それまでの自分を深く恥じた。そして、
「少しでも分かってもらえればいいんだ。分かりあえる部分を求めれば、そこに友情と連帯の輪を つくれるはずだ。そうだ、被爆体験を語っていこう」
そう決心し、それ以降は「被爆体験のない人には……」「分かりっこない」の言葉を一切禁句にした。亘さんの言葉は私にとって大きな出発点となった。
《謙虚さと思いやり》
ここで敢えて二点、付け加えておくと、「想像力」は確かにとても大切です。豊かな「想像力」が私たち自身の人生を如何に素晴らしいものにしているのかを考えればお分り頂けると思います。同時に、天才的な才能のある人は別だろうと思いますが、私たち凡人の「想像力」には限りがあります。他人の体験も含めて、世の中の「現実」に対して、私たちはあくまで謙虚でなくてはなりません。
もう一点は、山本さんの諫言も高橋さんの覚悟も、建前ではない私たちの本音の部分を鮮やかに切り取って見せてくれてはいるのですが、もう一つの現実があってもおかしくはありません。それは、為政者たち、そして戦争愛好者たちの無理解に限りないフラストレーションを感じたり絶望感に襲われたりしたとき、高橋さんだけではない多くの被爆者の皆さんや戦争の被害者のみなさんが密かに抱いているであろう、「原爆に遭ってみれば分るんだ」「自分と同じ目に遭えば分るんだ」という気持です。
原爆には遭っていない、あるいは戦争の残虐さを直接経験したことのない私たちに取って、直接経験者への思いやりの気持としてあるいは責任として、彼ら/彼女らを、「○○に遭ってみれば分るんだ」と思ってしまう心理的に切羽詰まった淵に追い詰めることのないよう、そうではない選択肢としての希望への道を開いて、そちらを選んで貰えるように努力することを心掛けられないでしょうか。
今日一日が皆様にとってよき日でありますよう、お祈り致します。
[2026/3/9 人間イライザ]
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