ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

戦争と平和の矛盾 ――戦争の体験者が平和を守る――

戦争と平和の矛盾

――戦争の体験者が平和を守る――

田村元氏と野中広務氏

広島ブログ

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《戦争体験者は戦争をしない》

戦争が続いています。ウクライナ、ガザ、イラン、そしてこれらの戦争が収まらない中、また新たな戦火が起きそうです。

戦争好きの為政者たちに、それが直ちに停戦に結び付くかどうかは別にして、「戦争を止めろ」、「人殺しをするな」等々の声を伝え続けなくてはならないのは当然ですが、一歩下がって、戦争と平和を巡る全体像を俯瞰するのも意味があることかもしれません。

10年前20年前という、まだ昔とは言えないような時期には、日本が戦争に走らないよう、戦争をしてはいけないという声が、例えば自民党の長老議員と考えられるような人たちからも発せられていました。

田中角栄、野中広務、鯨岡兵輔、田村元等々、戦争を自ら知っている人たちの声が、何も知らずに戦争ごっこに走ろうとする人たちの流れをしっかりと止める役割を果たしていました。

私も昭和17年生まれですので、ギリギリのところで戦争の経験をしています。「戦争をしてはいけない」という気持は全く同じです。

《戦争を知らない世代》

でも昨今では、圧倒的多数の戦争を知らない世代が、ソーシャル・メディアやSNSでの根拠のない流言飛語に迷わされ、スケープゴートを作り、その人たちを排除することから始まって、正義をかざすことにつながり、それが戦争の正当化へと発展するような雰囲気づくりに手を貸しています。

《戦争の原因は》

戦争が起きるためには様々な要因がありますが、その一つは戦争によって金儲けをする人たちがいることです。これまではこれまたギリギリの線で、日本から外国に対して、殺傷能力のある武器は輸出しないという一線を守ってきたにもかかわらず、その歯止めが外されようとしています。

「死の商人」という言葉さえも、議論の中には出て来ないほど、政治家たちやマスコミの頭の中には倫理感がなくなっているのかもしれません。かつて池田総理が海外で「トランジスタ・ラジオの商人」と呼ばれて、国を挙げて怒った時代がありましたが、それを「平和の商人」と読み換えて、日本の存在意義をアピールできなかった時に、この凋落は始まっていたのかもしれません。

このことと、菅内閣時代に、日本学術会議の人事に政府が介入をして、学問の自由を侵し、平和の砦としての学術研究の妨害をしたこととも無関係ではありません。学術研究に対する補助金でも、基礎科学を軽視して、軍事的な応用可能分野に巨額の投資をする方針も同一線上の方向性を示しています。

《戦争をさせないためには》

多くの人が「先の大戦」と呼ぶ戦争が終ってから既に80年を超えています。その間日本が戦争してこなかったという事実は重く見るべきです。戦争体験者の声の重さを改めてかみしめたいいと思います。同時に、同じ意味なのかもしれませんが、平和憲法の存在が大きいことも理由の一つに挙げて良いでしょう。同時にその平和に慣れてしまったために、「戦争を避けなくてはならない」という、より大きな責任に対する切実感が失われているのかもしれません。

こんなことを言うと、「外国から責められたらどうするんだ」、「その危機が迫ってるじゃないか」、「何で阿呆なことを言ってるんだ」といった種類の反論、言説が必ず出てくるのですが、待って下さい。そんな言葉が出てくること自体、既に私たちの思考が緩み切っていることを示しています。

そんな事態になる前に、あくまでも国際関係を重んじ、友好関係を作って行くことにこそ、全力を尽すのが憲法の基本的な考え方です。友好関係までは無理にしても、そもそも外国との関係をスムーズに保っていくことに力を入れて行くことで、戦争を仕掛けられる可能性をのない位、日本とう国家の重みを世界に知ろしめることはできるはずです。済みません、ちょっと肩に力が入り過ぎてしまいました。

《戦争こそが平和だ?

ずいぶん前になってしまいましたが、友人たちとこんな議論をしているとき、大変「合理的な」アイディアが出てきました。

それは、戦争を体験した人たちが社会に影響力を持っている間には、戦争をしようという世論が起きないのであれば、定期的に戦争をすることで、社会に一定の数の戦争経験者がいる状態を作り続けることが、平和を担保する上で一番効果的なことなのではないかと言うアイディアです。

簡単に言ってしまうと、戦争をすることが平和を保障するというスローガン、もっと簡単にすれば、「戦争が平和だ」という『1984年』の標語になってしまいます。

ここで気を付けたいのは、過去の歴史と未来の設計図を混同しないことです。過去を振り返って、戦争経験者がいることで戦争を避けることができたという事実はその通り認識しなくてはなりません。

しかしながら未来を考えるときには、「戦争を避ける」という命題が、「戦争を選択する」という命題より常に優先されるという大前提が確固としてあるのだという共通認識を全国民が持たなくてはならないのです。それが憲法の趣旨なのです。

とは言え、戦争をしたことが、その結果として平和につながるという「因果関係」が歴史的に何世代何世紀にもわたって続いているとするのなら、その周期を超えて戦争をしなかった時代、例えば今までの80年間の日本がそうですが、それをより安定かつ強固な社会の規範にするためには、どうすれば良いのかを、社会全体で考え共有し、憲法の具体的展開として採用すべきではなかったのではないかと思います。

まとめてしまうと、後悔先に立たずになるのでしょうか?

 

今日一日が皆様にとってよき日でありますよう、お祈り致します。

[2026/3/8   人間イライザ]

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