一本の鉛筆があれば
――狭間壮さんの生きる姿勢から学ぶ――

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私たちの多くは、良識のある社会で平穏に生き、少しは社会的な貢献もしたいし、できれば毎日が少しずつでも良くなっていると感じられれば願ってもないと思っているのではないでしょうか。
でも、参政党、AI、SNS、トランプ、高市、維新等々が画策して世の中にまき散らしているのは混乱と不安、そしてそれに対しての「解決策」と銘打った、自己中心的な「謳い文句」の数々。それに触れる多くの人は、一見してその本質が見抜けないで騙されてしまう類の「ウイルス」にも似た嘘ばかり。
良識ある人々がこの状態を憂えて、選挙その他の政治活動を通じて、方向性を変えようと頑張っているのですが、宮城県知事選挙のように苦渋の選択を迫られ、その結果、「絶望的」な気分に陥っている人たちも多くなってきています。
宮城県で多くの活動家の皆さんにお会いして私が感動したのは、そんな中でも希望を失わずに精力的に、そして今まで以上のエネルギーで活動を続けていらっしゃる皆さんの姿でした。その皆さんから、それでも「希望」のあることを確認したいというリクエストが寄せられました。
それに付いての拙い考察を前回お読み頂きましたが、(リンクは右クリックして新しいタブを開いてお読み下さい。) そこでAIやSNS、無知や無関心への処方箋として私が提案したのが、(短絡的な誹りを免れませんが) 鉛筆、一本の鉛筆でした。
今回は、何故「一本の鉛筆」なのかを取り上げます。
その一本の鉛筆を語るにあたって、どうしても忘れてはならない人がいます。それは松本市の狭間壮さんです。
声楽家、テノール歌手なのですが、エッセイストとしても知られていますし、地域の文化活動の担い手としてとして、多くの皆さんから頼りにされています。
実はかなり前に交通事故で下半身機能を失い、それ以来車椅子での生活を続けておられます。奥様のピアニスト由香さんとの間柄は、「信頼」を絵に書いたような、傍にいて心が温まるような絆とでも言えるのですが、そんなお二人が御一緒にクリエイティブな活動を続けています。
その一つが、「一本の鉛筆があれば」というコンサートです。毎年狭間さんの歌を中心に客演の方も混ざっての公演になったり、あるいは音楽以外のジャンルのパフォーマンスがあったりする楽しいコンサートです。
私も一度招かれて、一本の鉛筆と平和についてのお話をさせて頂きました。このコンサートのタイトルからも御理解頂けるように、狭間さんは、美空ひばりの「一本の鉛筆」を単なるキーワードでとしてではなく、人間活動の大切な原点として捉えていらっしゃいます。
その発露として、狭間さんが呼びかけて、地域の皆さんに「一本の鉛筆があれば」というエッセイを書いてもらい、寄せられた素晴らしいエッセイばかりが詰まったエッセイ集『一本の鉛筆があれば』を出版されています。
先ずは、狭間壮さんの巻頭言をお読み下さい。
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はじめに
お手元の小さな一冊は、「一本の鉛筆があったら、あなたは何を書きますか」?の問いに応えて綴られた原稿を、集めたものです。一部と二部に分けてあります。 一部は、応募された皆さんの文章を。実は、呼びかけに応じて、たくさんの原稿が(予想では百通ぐらいは…)集まる、と気楽に考えていたのですが、さにあらず。それでボリュームをつけて体裁を整え、不足分を関連する私の雑記で補い、二部の構成といたしました。
10年余にわたり、私は「”一本の鉛筆”があれば」というコンサートを開いてきました。美空ひばりによって発表された反戦歌、「一本の鉛筆」を主題とする、「いのちと平和」のコンサートです。
そのコンサート(2 012年5月)で、「一本の鉛筆」に托してあなたも何か書いてみませんか、と呼びかけたのです。内容も形式も自由。だいたい約400字をめどにと。集まったメッセージは多岐にわたりました。形式は標語 (スローガン)、詩、 文章、 中には絵もありました。筆記の用具も多様でした。文字数400字を超えるものも。内容は自由、ということもあってか、平和やいのちなどへの祈リや願い、あるいは地震・災害、原発への所感、政治 経済(消費税やTPP)の諸課題などへの提言は、思ったほどには多くあリませんでした。それはおそらく、今を生きる私たちをとりまく状況が、 等身大では理解できないほどに難しいものになっていることからなのでは、と思いました。それで、自らの経験に照らし、手の届く範囲内のことを文字にするということになったものと思われます。市井の生活者があたりまえに蓄積してきた経験値を、はるかに超えて起こる事々の多い世界ですから。
ということで、この冊子の中には、様々な状況の中それぞれに矛盾もかかえながら、 今を生きる皆さんの心の中にふと浮かぶ、そんなあれこれが綴られているものと、ごらんいただければ幸いです。
それにしても何をよすがとして身を処していいのか…。私たちは、なんとも難 しい混迷の時代に生きているものかと、つくづく思います。
しかし、これだけは言っておきたいと思います。それはいかなる場合も、その判断の基礎となる情報は、公開されねばならないということです。「由らしむべし知らしむべからず」を為政者に許してはならない、ということです。その思いを一本の鉛筆に托してここに記したいと、思います。
何かまとまったことを書くのは、面倒なことでもあります。私の呼びかけに応え、原稿をお寄せくださった皆様、ありがとう.こざいました。そして、 記事にして呼びかけを手伝ってくださった新聞社各位に、感謝申し上げます。
二〇一三年夏
「一本の鉛筆があれば」あなたは何を?呼びかけ人
狭間壮
ありがとうございました。呼びかけをご支援いただいた各社 •朝日新聞松本支局•中日新聞松本支局•市民タイムス•松本平タウン情報
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皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!
[2025/11/5 人間イライザ]
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