ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

希望の見付け方 ――宮城9条の会主催の講演会で――

希望の見付け方

――宮城9条の会主催の講演会で――

憲法9条を守り生かす宮城のつどい2025

尚絅学院高等学校宗教部の皆さんのプレゼン

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仙台での講演を依頼され、11月1日に仙台入りしました。夜は主催者の方々との会食でしたが、話は当然のことながら、済んだばかりの宮城県知事選挙に及びました。それだけではなく現在の社会・政治状況について、我が国固有の価値観と歴史的変遷等、多岐に亘ったのですが、とても勉強になったかつ新たな方向性についてもヒントを頂けたひと時ですので、この集まりを仮に「憂える会」と名付けておきます。

5期20年も在職した村井嘉浩知事が当選。対して、1万4000票の差で次点に甘んじたのは、自民党の前参議院議員和田政宗氏。参政党が全面的に支援した結果です。世論調査の数字では、終盤に和田候補が当選とまで言われたいたのですが、接戦の末、村井候補の勝利に終りました。

立憲その他の野党は野党候補として遊佐美由紀さんを担ぎました。9月まで所属していた立憲民主党を離党し、8期目途中で初めて知事選に立候補したのです。長く続いた村井県政への批判は県内にもかなりありましたし、革新系の県議としての実績もあったのですが、村井批判は参政党+和田候補にお株を奪われ、村井批判票が参政党の票になってしまったという現実もありました。

そんな状況下、村井を取るか和田を取るかという選択を迫られたときに、苦渋の選択として「参政党よりは村井の方がまだマシなのでは、と考える人たちの票が村井に流れ当選という結果になった、との分析がかなり的を射ているように見えました。

そんな苦渋の選択を迫られた人たちが、今何を考えているのか、胸中を察するのも忍びないのですが、現実は厳しく見据えた上で希望の種を見付け、次のステップを踏まなくてはなりません。

ということで、翌11月2日の講演の中に、「絶望的な社会状況下、希望を見付けるにはどうすれば良いのか」についての考察を加えることという「宿題」が課されました。以下、その宿題をここにアップします。

タイトルは「希望の見付け方」

課題  「現在の世界情勢、社会情勢を見ると絶望的にならざるを得ない。そう感じている人も多いのではないか。そんな状況の中でどのように希望を見付ければ良いのか」

実は、この問は20年前の8月10日に、数学教育協議会の集まりのイベントの一つとして、当時大妻女子大学教授だった野崎昭弘先生と私が、数学と平和についての対談をしたときに、参加者の一人から発せられたものでもあったのです。

夕食を御一緒した「憂える会」では、「絶望的」な状況の分析もしたのですが、それを私なりにまとめて見ました。

社会を覆う「絶望的」症状

  1. 参政党に投票する            
  2. 考えない----AIが代ってくれる
  3. 知らない----人権という概念そのものを知らない
  4. 書けない----絵文字、AIが示す候補をクリック
  5. 行動と頭が連動していない----その意味が分からない

そして、その結果として問題なのは、

それを見て私たちが絶望していること

絶望から抜け出るための希望の灯を探すのが「宿題」だったのですが、それに答える前にとても大切な点を確認しておく必要があることに気づきました。それは、

希望のあるなしで行動を変えるな ということです。

一つには、周りの状況が悪くなったのであれば、私たちの努力をより大きくしないと太刀打ちできません。でもそれは無理な場合もあるので、今までの努力を継続するというレベルで対応することが賢い場合もあるのです。

同時に、政治状況や環境は時とともに変化しますが、より大きな課題---今私たちが取り組んでいるのは核兵器の廃絶ですが---は変わっていない点にも着目する必要があります。それも、かなり危機的状況なのです。

  1. かつて、ラッセル・アインシュタインが言ったように、「人類が核兵器を廃絶するか、核兵器が人類を滅亡させるか、その選択は私たちに懸っている」という状況はそのままなのです。
  2. 問題は核兵器だけではありません。地球の温暖化もあります。さらに右翼の台頭によって多くの国の政治が独裁化し好戦的になることで、世界大戦の可能性も大きくなりそれが人類の滅亡につながるシナリオも現実味を帯びてきています。それを踏まえてラッセルとアインシュタインの言葉を言い換えると、人類滅亡か生存の可能性を残すのか、その選択は私たちに懸っていることになります。
  3. この真実を次世代に伝えるのも私たちの責任

ここまでは、「註」的な感じでの確認でしたが、テーマの「希望の見付け方」に戻りましょう。この課題を与えられた2005年の8月に、たまたま中国新聞の投書欄で次のような一文を目にしました。

小島繁美さんの投書 (2005年8月5日付朝日新聞に掲載)

  「昭和20年の8月7日の昼下がり、広島市・宇品港の岸壁近くの砂地
  でいつ出るともあてのない島まわりの船を待っていた。---中略---

  ふと気がつくと、近くの草むらで人声がした。きょうだいらしい二
  人。妹は13歳前後。兄は2、3歳年長か、着衣はボロボロでかなりの
  重症と見えた。妹は外傷が無いようで、自らの身体で日陰をつくっ
  て兄を気遣い、話しかけていた。

  『お兄ちゃん、帰ったら母さんに「おはぎ」を作ってもらおう 
  ね』。---中略---最高にぜいたくで幻の食べ物だった「おはぎ」とい
  う言葉に、現実に戻され、希望を与えられた。」

この投書が伝えてくれているのは

  • 辛さを乗り越えた先にあるもの (人) を具体的に頭に描く
  • 食べ物でも人でも
  • そして、それは「愛」を表している

このことは、ホロコーストの体験にも共通しています。

ビクトール・フランクルの言葉 (著書『Man’s Search for Meaning(意味を求める人間)』)

  • 生き残った人たちに共通していたのは、収容所から解放された未来の自分の姿を具体的なイメージとして描けたという点だった
  • 人間が心から願い望む最高の目的は愛であるという真実だ

これでは抽象的すぎますね。もう少し具体的に、「絶望リスト」に対抗できる秘策を御披露します。そのために「絶望リスト」の内容をもう一度見てみると、AIやSNSといった機械的技術的な便利さに依存しているという景色がハッキリしていますね。そしてそれに対しての抵抗手段も明らかです。

この点は、2000年の平和宣言でも触れたのですが、ポチッとする代りに、またAIからの答えを貰う代りに、自分の手で書き考えることです。そのために一番適しているのが「鉛筆」です。そして、どこにいるのか分らない参政党支持者を説得しようと考える前に、自分たちの身近にいる人たちに伝えることから始めるのが定番です。その輪が膨らむことで、参政党の支持者たちにもつながります。ということで、

愛する子どもや孫のために

  • 鉛筆をプレゼントしよう
  • 一緒に削って文字を書こう
  • ざら紙に「ありがとう」または「I love you」と書いて渡そう

(美空ひばり「一本の鉛筆」より)

最後に、これまでのポイントを情緒として伝えるために、「一本の鉛筆」をアカペラで歌わせて頂きました。何故、鉛筆なのかについては、またの機会に書かせて頂きます。

 

皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!

[2025/11/4   人間イライザ]

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