――権力者は長期的責任を取らない――

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政治家その他、世論を誘導する立場にある人たちの長期的責任について考えています。日本の政治を大きく変えてしまった小選挙区制を、一つの例として取り上げ、私の直接体験も含めて分析したいとと思います。
もう30年以上前のことになってしまいましたが、小選挙区制を錦の御旗として掲げて日本中をある種の「空気」で取り囲んでしまったのは、マスコミ、学者等の専門家、政治家たちによる意図的・情熱的な宣伝が行われたからです。
彼らの言い分は、小選挙区制を採用することで、日本でも二大政党制が定着する。そして政権交代が適度に行われるようになり、世論が政治に反映されることになる。そして政治と金との癒着も断ち切られることになり日本の政治は安定しかつ理想に近付く。
それに対して私たちは各国の例や学問的な研究成果等を元に、論理的に反論を行いました。
推進派の主張では、二大政党制が大前提として掲げられています。政治に対する国民の考え方は、大きく分けて二つになるという前提です。でもそれは「願望」であり、あるいは、国会での議論の結果をそう解釈することが多いというだけの話なのです。
例えばある法案について、国会では最終的に「賛成」か「反対」かという意思表示かなされるので、それを国民の考え方そのものであると解釈してしまう場合です。
それをあたかも、自然に存在する「事実」であるかのようにとらえて議論するのは乱暴です。
選挙で大切なのは、まずは民意を正確に反映することです。社会が多様化していることは私たちが日常的に感じていることです。その社会の有り様を選挙で政治に反映させるのが正しい因果関係です。それが可能になる選挙制度を選択しなくては、そもそも選挙の意味はなくなります。
ですから、二大政党制になるという「願望」を実現するための選挙制度を選択することは、選挙そのものの意味を否定することになるのです。
時代の趨勢を冷静・客観的に見る限り、多様化が進んでいる時代には、その多様性を正確に反映できる選挙制度が必要なのです。そしてその制度は、もし社会が二極化することになればそれも反映できるのです。
多様化している社会を選挙制度によって二極化し、二大政党化することが正しいと考えるのは、知的には傲慢な姿勢だといわれても仕方ありません。
そして、事実として今私たちが目の前にしているのは、二大政党制になるための選挙制度を「誤って」採用したにもかかわらず、多党化した社会の現実です。私たちが予測した通りの結果になっているのです。
そのような主張をしていた私たちを、小選挙区推進派の人たちは、「守旧派」と呼び、当時の花形キャスターだったら、筑紫哲也氏に至っては私たちがしていることは「善意で地獄への道を舗装していることだ」とまで面と向って言い放ちました。
お浚いすると、その結果、今起きていることを見てください。確かに一度は政権は交代しましたけれども、それは小選挙区制度のせいだとは言えません。なぜならば、政党の数は増え、今回の高市内閣成立の状況を見てみればそれは明らかです。そして政治は混乱を続けています。その最大の要因が小選挙区制だと言っても、多くの皆さんは納得してくれるはずです。
さて、そこで、小選挙区制を推進し、それに対する反対する私たちを口汚なく貶めてまで、それを実現してしまった人たちは、今、当時の不明を恥じているのでしょうか。責任を取っているのでしょうか。恥じている人はいますが、責任は取っていないのが現実です。
当時の総理大臣だった細川護熙氏や自民党の総裁だった河野洋平氏はまだお元気です。2人とも小選挙区制の採用は過ちだと言っていますが、口で言っているだけで責任を取る積りはないようです。(もう一人の立役者である土井たか子氏は亡くなられています。)
責任の取り方としては、例えば全国を行脚して小選挙区制が間違いだった、だからそれを変えようと、世論を喚起するような行動を取ることは考えられなかったのでしょうか
この二三年ということなら年齢から考えても無理かもしれません。しかし小選挙区制の弊害が明確になったのはもっと前です。その間にこれら二人の人たちが責任ある行動を取ることは可能でした。
マスコミが何の反省もしていないことには呆れるばかりですが、この点についてはSNSとの関係も含めて功罪両方についての分析が必要です。反省もしていない責任も取っていないことを確認するだけにしておきます。
学者に至っては旗振り役の中心的な存在だった人々は、文化勲章を受け、年齢的に元気な方々は、リベラル派のリーダーとして、これまた非常に重く用いられています。
日本の政治の混乱の元を作った人が顕彰され、その意見が尊重されていても、現在の政治の混乱の元を作ったことについては、一切言及されていないのは問題なのではないでしょうか。
結論としてまとめておくと、小選挙区制度といういびつな制度を導入し、選挙、そして政治を歪めてしまった人たちの責任は問われていないのです。ただし、その犠牲者である国民・市民・有権者と呼ばれる人たちは、その結果を「受忍」するという立場に立たされているのです。
これは、戦争の結果として国民が犠牲になっても、それは国民が甘んじて「受忍」するのが当然だと述べた、1980年の、原爆被爆者の援護についての諮問を受けた懇談会が、「堂々と」述べた考え方、そしてそれが国と市民との間の基本的な関係だと認識している日本国政府の考え方なのです。
皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!
[2025/10/22 人間イライザ]
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