ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

夏休み最後の日に、まだできていない宿題 ――80周年の総括がこれで良いのか――

夏休み最後の日に、まだできていない宿題

――80周年の総括がこれで良いのか――

平和教育実践事典

 

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「夏休み最後の日に、まだできていない宿題」。今年の8月6日のいくつかの新聞社の社説を読んで、そんな感想を持ちました。夏休みが始まった時から、宿題の提出期限は分っています。合理的には夏休みの間に計画的に宿題を片付けるべきなのですが、1日延ばしにしてしまう。あるいは宿題の事は全く考えずに、最後の日になって大慌てに慌ててしまう。そんな夏休み最後の日という図柄です。

こんな読み方は捻くれているかもしれません。逆に捉えて、マスコミへの期待が大き過ぎる故の失望感だと受け止めて頂いた方が良いのかもしれません。

本論に戻って、でも被爆者が高齢化しやがて被爆者のいない時代がやってくる事は何十年も前から分っていたことです。さらに、何十年、何百年そして何世紀経つと、大変重要な被爆体験の記憶といえども、人類の記憶の中では薄れていくこともこれまでの歴史を振り返ると、そんな時代が訪れる可能性は大きいのです。それも分っていたはずです。

さらに、このような困難さに対して人類が選んできたのは教育という手段です。こんなことは今さら言うまでもありませんが、被爆体験が「風化」しているとの危機感は今始まったことではありません。1980年代には既に広く共有されていたのです。大人になってから、あるいは物心付いてからの被爆者の方々もお元気で、被爆証言や核廃絶運動等を通して社会への影響力も大きいときでした。

特筆しておきたいのは、被爆教師の会が1969年代には結成され、1972年代には民間の平和教育研究・実践機関である広島平和教育研究所が発足しています。それまでの活動の集大成、かつ平和運動の思想化とも言うべき『平和教育実践事典』は、1981年に刊行されています。

大切なことの一つは、被爆教師を含む多くの先生方が、この「実践事典」の内容を自ら実践していた当事者だったことです。

社説に戻ると、事典の内容はもとより、実践の記録や、その後の40年以上の間に何があり、どんな対応がなされてきたのかについての言及はないのです。

(戦後の80年間を「夏休み」という比喩で片付けるのには問題があります。他の比喩を持ち出して議論をし直すのは今の段階ではかえって混乱の元になりますので、お叱りを覚悟の上でこの比喩を続けます)。

とにかく、夏休みは始まりました、カラの記述で始まり、突然、8月31日は宿題ができていなくて大変です、と言われても、それでは、現実の世界でこれから何をすれば良いのかについてのヒントは得られません。

そこまでの想像力はなかったにしろ、80周年と聞けば100周年は頭に浮ぶでしょうから、100周年にはどんな社説を書いているのかくらいは、視野に入っていても当然だったのではないでしょうか。その視野から見えてきた「過去」はどのようなものだったのか、も一つの問題提起にはなって良かったのではないかと思います。

このブログでは、今後、夏休みが始まってから、毎日どのような日々だったのかの概略を紹介して行きます。

 

皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!

[2025/8/17     人間イライザ]

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