ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

正田篠枝と永井隆を引用した石破総理

正田篠枝永井隆を引用した石破総理

「広島・長崎」を引用すると

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       「太き骨は先生ならむ そのそばに小さきあたまの骨あつまれり」

       「願わくばこの浦上をして、世界最後の原子野たらしめたまえ。長崎医科大学で被
        爆された永井隆博士が残された言葉であります。長崎と広島で起きた参加を二度と
        繰り返してはなりません。」

これらは8月6日の広島、そして8月9日の長崎で石破茂総理大臣が引用した正田篠枝さんの歌と永井隆博士の言葉です。

これまでの内閣総理大臣の広島、長崎での挨拶とは次元を異にしたている最大のポイントですが、それは、被爆者の歌であり言葉であること、そしてその後の被爆者ならびに全国の平和を求める市民や運動家たちの気持ちをリードしてきたこのお二人の言葉を通して、私たちとの間の絆を確認しているからです。

内閣総理大臣としての仕事の評価をするに当って、選挙結果を重く見ることは一つの視点として当然考えられます。

しかしながら被爆80周年という節目の年に、広島・長崎だけではなく、それに至る歴史と未来について、特に類滅亡の可能性のある核の問題について、これほど明確な意思表示をしたのですから、それを総理大臣としての資質の評価として採用したとしても十分批判に堪えられるものだと思います、

そして今回の石破総理の挨拶の意味は今年だけに限られるものではありませんし、石破総理大臣という個人に限られるのでもありません。

次の総理大臣が広島・長崎でどのような言葉を発するのか、当然今回の石破総理の挨拶に比べられることになります。これまでの総理大臣のように、官僚の書いた全く血の通わない散文をただ間違えなく読むだけという総理の挨拶では、全く評価されないことになります。

それだけではありません。平和記念式典での挨拶という限定された意味だけではなく、その背後にある国としての戦争責任、特に犠牲になった日本国民にどう向き合うのかについての姿勢を反映しなくてはならないのが広島・長崎の挨拶です。その意味でも国の施策を問う上での私たち市民側からの主張の根拠が今回の挨拶には込められているのです。

今後、被爆者援護について、あるいは戦争について国との交渉をする立場にある人たちは、官僚たちの言い分に対して「それは総理大臣の広島・長崎での発言とは違うじゃないか」という形で官僚への反論ができるようになるからです。その意味でも石破総理の挨拶は画期的なものだと評価して良いのではないかと思います。

もう一点、私が原水禁を通して、そして世界の市民ネットワークの仲間たちとともに推進してきている「2045ビジョン」、そして中間目標である「2035ビジョン」について、石破総理の挨拶は、それらの目標について全く同意味であることを公言してくれました。

「私たちはこれからも「核戦争のない世界」、そして「核兵器のない世界」の実現と恒久平和の実現に向けて力を尽くします。」

ここで「核戦争のない世界」というのは、核兵器を使わない世界という意味です。つまり「2035ビジョン」の目標である核の先制使用はいけないという主張を論理的にその中に含みます。

さらに「核兵器のない世界」は、文字通り、核兵器廃絶そのものです。これは「2045ビジョン」を実現したいという石破総理の気持ちを表現しています。

こんな形で石破総理の挨拶は、「2035ビジョン」そして「2045ビジョン」への応援歌にもなりました。その点についても心から感謝します。そして今後は石破総理の言葉を引用しながら私たちの運動を進めていくことが可能になりました。これは世界的にもとても大きな意味を持ちます。

敢えて蛇足を付け加えれば、ここで「石破辞めるな」と言っておきたいと思います。来年の広島・長崎でも石破節を聴きたいと思いますし、総理大臣が広島・長崎と向き合って当たり前という姿勢、それが伝統になるはずですが、を定着させるためにも、時間が必要だからです。

さらに蛇足の蛇足です。これほど意味のある伝統は、「被爆地広島出身の総理大臣」にこそ創って貰いたかったと思うのは私だけでしょうか?

さらなる蛇足です。昔初めて正田篠枝の歌に感動したときに聞いた説明ですが、「太き」は「おおき」と読むということです。その方が、子どもの目線からの思いも加わるからです。

 

皆様にとって、きょう一日が素晴らしい24時間になりますよう!

[2025/8/10     人間イライザ]

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