#追悼 #笹森恵子(しげこ)さん
――#誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝えた被爆者(by Steven Okazaki)――
そして「#原爆乙女」のお一人です
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連続して、核廃絶のため私たちに何ができるのかを考えてきましたが、とても悲しい訃報が届きました。中断して笹森さんの92年間の人生の中からいくつかのエピソードをお届けして、御冥福をお祈り致します。
《笹森恵子さん》
笹森恵子さんはロスアンゼルス近郊のマリーナ・デル・レイの御自宅で亡くなられました。1932年生まれですので、92歳でした。映画監督のSteven Okazakiの言葉では、「彼女は世界中で誰よりも多くの人にヒロシマの物語を伝え、誰よりも多くの人の心を打った被爆者」です。
笹森さんのことをあまり良く御存じはない方のために、年表式に彼女の人生を辿ってみます。
1932年生まれ
1945年、13歳の時に被爆しました
1952年、流川教会の谷本清牧師によるバイブル・クラス「シオンの会」の会員に
1952年、作家の真杉静江さんらが、笹森さんたち10人の少女を整形手術のために東京に招待、この年に
俳優等の著名人が中心になって募金活動開始
身体機能回復のために、30回近い手術を受ける
ノーマン・カズンズ氏 が 「精神養子運動」(Moral Adoption Program) を1950年に、また、「広島の乙女」プロジェクト( Hiroshima Maidens Project) を1955年に立ち上げ、アメリカで治療を受ける「Hiroshima Girls」の一人に選ばれる
これを契機にアメリカで生活
1962年に、息子のノーマンが生まれる
被爆者としての証言で特に注目すべきなのは、
1980年と1982年に、アメリカの上院での証言
1982年に ボストンで開かれた MANA (核兵器に反対する音楽家の会) コンサートで証言
その後も、アメリカを中心に証言活動を世界的規模で続ける
アメリカに長く住み、英語で自らの被爆体験を語る笹森さんが、直接、そして様々なメディアを通じて語り掛けた人の数が限りなく多かったのは当然です。今でも、「ヒロシマ」と言えば「パールハーバー」と返って来るケースが多いアメリカでは、初めて被爆者の体験に触れる人が圧倒的多数です。そんな人たちの心の奥まで揺さぶるストーリー・テラーとして平和のメッセージを伝え、核なき世界を目指そす多くの仲間を作ってくれた笹森さんに、改めて心からの感謝の言葉を捧げます。
笹森さんとの思い出は多くありますが、次回はその中から特に印象に残っているものをお伝えできればと思います。
最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう
[2024/12/20 人間イライザ]
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