ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

#議員立法の #おかしさに気付こう ――#形骸化した国会も #抜本的に改革――

#議員立法 #おかしさに気付こう

――#形骸化した国会も #抜本的に改革――

241023

土井たか子を支える会発行の『梟』

#委員長選挙で訴えたかったこと

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衆議院選挙と同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査について、今のやり方では、「国民審査はやっていますよ」という、アリバイ作り以外には役に立つとは到底考えられないことを指摘しました。司法の場にある人なら、このような現状に当然気付くべきでしょう。でも、現実としては、司法の最高の場で仕事をしている人は、この現実に全く気付かないか、気付いていても手を付けないのかは分りませんが、結果として責任放棄していることを前回指摘しました。それに対して、「No」と言える唯一のチャンスを生かそう、バツを付けよう、そして注意を喚起しようという趣旨でした。

今回は、立法の場である国会についても、また行政を司る内閣についても、同じような責任回避のあること――そんなことは百も承知だと、ここで切り捨てないで下さい――を指摘したいと考えました。

その切っ掛けになったのは、資料の整理をしていた時に出てきた『梟』の11巻でした。土井たか子を支える会の発行で、季刊ですが、編集発行人はいま世田谷区長を務めている保坂展人さんです。11巻は、1996年の3月号です。

この中でインタビュー記事として、私が社会党委員長選挙に出馬した時の思いを語っているのです。

その全文を載せても良いのですが、それを始めると国会での質問や議論を片っ端から掲載するという誘惑に負けてしまうかもしれませんので、ワンポイントだけ使って問題提起をしておきます。

委員長選挙に出たのは何故かという理由の中で、政治を根本的に変えるためには、現状が如何に異常なのかをハッキリと自覚してそれを変える必要のあることを強調しています。そして国会そのものが異常である理由として、「議員立法」という言葉のあること自体、そしてそれが立派な行為であるかのような取り扱いをされていることを挙げました。

それを説明するのに、英訳を挙げています。議員立法とは「legislation by legislator」で、立法を唯一許されている議員が、その立法をすることを指します。同義反復ですので、おかしいのですが、それが褒められるとなるとさらにおかしいことになります。憲法を読み直すとそのことは明らかです。

41条  国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

国会議員は、立法を行うために選ばれるのですが、これも、最高裁裁判官の国民審査と同じで、形だけ・数合わせをして既定のシナリオをなぞるだけ、という面があまりにも強くなっています。さらに、内閣総理大臣として行政権を振うための権力闘争の決着の場という側面の強さも問題にすべきでしょう。

そして法案を国会に提出できるのは内閣と、衆議院議員なら20名、参議院議員なら10名の賛成者がいる場合です。改革の一歩として、国会議員一人一人が、法案提出権を持つべきですし、仮に内閣の法案提出権を認めるなら、国会議員の賛同者○○名、という形にすべきではないでしょうか。「唯一の」立法機関なのですから。

今回の選挙で、これほど極端な立場を取っている人を選べと言っても無理かもしれません。でも、物事の基本・原点に戻って、常に憲法の言葉を読み直し、主権者の意向を生かそうとする姿勢位はチェックしても罰(ばち)は当りません。

 

最後に、今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

[2024/10/24  人間イライザ]

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