ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

#日本プレスセンターの #シンボル ――#45年前の印象は #強烈でした――

#日本プレスセンターの #シンボル

――#45年前の印象は #強烈でした――

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#建物自身には、日輪のシンボルがあるようですが

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《プレスセンターでの記者会見》

詳しくは、もう絶版になってしまった『真珠と桜』 (朝日新聞社刊、1986) をお読み頂きたいのですが、「アキバ・プロジェクト」と呼ばれる、世界のジャーナリスト招請計画が出発しました。

主催は中国新聞中国放送が中心になってつくられた財団法人広島国際文化財団ですが、アメリカを中心に、夏の間、世界のジャーナリストを広島・長崎に招待して被爆者や被爆体験、反核運動等を取材し、自らの筆で世界に報じて貰うことが目的でした。提唱者の私の名前を使うことは事務局長の金井宏一郎さんのアイデアで、私は反対しましたが押し切られました。

それはともかく、最初の年に広島・長崎を訪問した三人の記者を初めとして、約10年間続いたことのプロジェクトの結果、アメリカを中心に原爆についての質の高い報道が世界に送られました。

最初の年1979年から、広島・長崎の取材を終えた記者たちは、東京のプレスセンターで記者会見をすることが恒例になりました。肝煎りは、このプロジェクトの出発前から全面的に支援してくれた毎日新聞社会部長・後に広告局長を務めた山崎宗次さんでした。

日本プレスセンターは1976年に竣工、ピカピカの輝かしいビルでした。東京での初めての記者会見で、記者たちも緊張していましたし、広島・長崎での重い日程後でしたので、同時にホッとした気持ちもありました。

そして、記者会見前にトイレにと向かった先にあったのが、このサインです。今までに見たこともない威厳に満ち、マスコミの重要性をシンボル化しているような印象でした。建物自身には日輪が公式のシンボルとして採用されているようですが、私にとってのプレスセンターのシンボルはこれなのです。「LADIES」のサインもあります。

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それ以来毎年のようにプレスセンターには通っていましたので、その内に慣れてしまったのですが、今年8月に、当時からの友人たちとプレスセンタービルで落ち合う機会がありました。

そしてトイレで見たこのサインから、45年前の記憶が鮮明に蘇ってきました。そして45年もの間の友情や感謝の気持で、胸が一杯になりました。

 

今日一日が皆さんにとって素晴らしい24時間になりますよう

 

[2024/9/18  人間イライザ]

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