#金権腐敗政治一掃 #私案
―― #公的仕事は公費で賄う――
1993年の拙著で提案
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裏金やキックバック、収支の不記載といった問題さえ満足に処理できない自民党が政権を握っているのですから、先行き真っ暗だという思いで日々のニュースに接している人も多いはずです。そして政治と金の問題が、昨日今日始まったのではないことも皆さん御存じの通りです。
30年ほど前、私が始めて国政に関わるようになった時も「政治改革」というお題目で、政治と金の問題を何とかしなくてはならないという声が大きくなっていました。
その結果、不思議なことに「小選挙区制」こそその解決策だということになり、政治資金規正法も改正はされました。それがザル法だったということは、今回のいくつもの不祥事が、(残念だというべきか、我々が言って来た通りになったではないか、と言うべきか?) 証明しています。
しかし、政治と金の問題には抜本的な解決策が存在します。その概要を拙著『夜明けを待つ政治の季節に』 (1993年、三省堂刊、編集者の故伊藤雅昭さんには大変お世話になりました。) の最後に綴っています。極論であることは認めますが、その対極にある現状を考えると、このくらいの提案を今、皆さんにお届けしておかないと「夢のまた夢」としてしか存在意義がなくなりそうですので、以下、「金権腐敗政治一掃私案」を少しずつアップして行きます。
以下、引用です。
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私に今見えるのは、与野党の政治家、官僚、学者、マスコミ、労働組合、財界等々の一部(この「一部」は各々の分野の人々の一部という意味の一部である)を巻き込んだ「閉鎖社会」が出来上がってしまっていて、その中の論理と利害関係となれ合いでことが進んでいく実態である。市民社会に開かれていないという意味で「閉鎖」的であり、世界的な視野で物を見ていないという意味でも「閉鎖」的である。社会的影響力の大きい人たちが集まっているために、より大きな市民社会を実質的に動かしてしまっている点が問題なのである。
そのことをもっともはっきり示しているのが[改革]そして「政治改革]」という言葉であり、その意味であり、またその議論の仕方である。彼らの現状認識とその上に立った解決策は、次のような「風が吹けば桶屋が儲かる式の「シナリオ」にまとめられる。
政治に金が掛かるのは選挙に金が掛かるからである。選挙に金が掛かるのは今の選挙制度が中選挙区倍だからである。なぜなら、中選挙区制度度の下で過半数を得るために、自民党は一選挙区から複数の候補を立てなくてはならない。同じ政党からの複数の候補間では政策の違いによる競争は出来ない。サービス競争になってしまう。そしてサービス競争には金が掛かる。これを変えるためには、政党本位の政策に基づく選挙を行わなくてはならない。そんな選挙を保証できるのは一つの選挙区から一政党一人の候補者しか出られないような制度である。つまり小選挙区制が最善の解決策である。
野党の「改革派」の議論は大筋でこの論旨を認めた上で、通後の選挙制度については別の案を持ってくるというものである。もちろん、この主張には幾つもの嘘が混じっている。
ここまでが引用ですが、この後に、私個人の台所事情も説明した上で、政治には金の掛ること等の説明をして、金権腐敗政治一掃私案を示すことになるのですが、その前に何点か大切な前提条件に言及していますので、そこからお読み頂ければ幸いです。引用を続けます。
[主張 ①] 政治家は警察官以上に「公私]を唆別すべきである
私はこれまで三年間の経験から、政治家の仕事のほとんどが公的なものだと言っても言い過ぎではないと思っている。そして、公的な仕事は公的な金で賄うべきだし、私的な部分は、国会議員が生活費として国かちら受け取るサラリーで賄うべきだと思う。さらに、国会議員という重い責任を果すために、それ以外の収入はビタ一文受け取ってはいけないことにすべきだと考える。
私がモデルとして頭に置いて考えているのは警察官の仕事である。警官の仕事は公の仕事である。だかちその費用は全て公費によって財われている。捜査費用が十分でないからといって警察官個人が仮に金持ちだったとしても、自分の金を出して捜査を行うことはない。パトカーを買う費用が仮にないとして、警察署長が自分の後援会を作り寄付を貰ってパトカーを買うこともない。広く薄くなら寄付を集めてよいという原則を採用して、警察の仕事の合間に寄付集めのために時間を割くこともない。警察宮の寄付集めは認めておいて、警察宮の腐敗を防止するために警察官募集の仕方を一つ市町村から一人にする「小募集制度」に変えるとでも言い出す人がいれば、常識を疑われる。一言でまとめると、警察官の仕事では公私の区別がきちんと付いているのである。
だが、警察官に比べて政治家の公私の区別はハッキリしない。警察官が行えばとても許されない種類のことを政治家は皆やっているのである。私は、政治家の仕事についても警察官と同じくらい厳密な公私の区別が付くべきだと思う。警察宮なら許されないどころか罪になることが、政治家ならなぜ奨励されるのか疑問を呈したい。
まず、改めて考えておきたいのは、なぜ警察官の仕事では費用の負担に当って公私の混同が許されないのかという点である。いくつか理由を列挙しよう。まず第一に、公的な仕事は公費で賄うという原則がある。だから、いくら金持ちの警察官がいたとしても自分のポルシェをパトカーとして使わないのである。
第二に、腐敗を防ぐためである。寄付を貰った相手が何らかの罪を犯した場合、情として逮捕するには忍びないという気持になっても当然だがからである。
第三に、仮に寄付集めを認めたとすると、どこに境界線を引くのかが難しくなるからである。仮にスピード違反でチケットを切ろうとしている警官に、ドライバーが高額の寄付を申し出た場合、しかも、重大殺人犯人捜査のためにどうしても金が必要で、その警察宮が寄付集めの責任者だったちらどうなるだろうか。誘惑に負ける警察官だけが悪いと言って済まされる問題でないことは明らかなのではないだろうか。
[主張①]は続きます。
今日24時間が、皆さんにとって素晴らしい一日になりますよう!
[2024/5/9 人間イライザ]
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