#広島藩 と #安芸の国
――#藩 が #正式名称 になったのは #明治時代 だった――
安芸の国生まれの初の総理大臣、加藤友三郎
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昨年2023年の8月26日に開催した「加藤友三郎没後100年記念シンポジウム」の概要を英語に訳して小冊子を作るために、最終の英語版チェックを友人のスティーブン・リーパーさんにお願いしていました。その彼から鋭い質問が飛んできて調べたところ、私の知らなかった歴史的な言葉遣いについて、蒙を啓かれることになりました。
リーパーさんが疑問に思ったのは、基調講演をして下さった工藤美知尋先生のまとめの原稿中の次のような個所についてでした。
友三郎は、1861年に安芸の国広島城下大手町で生まれているのですが、その後、友三郎が広島藩の上士、恵美氏の娘と結婚するときの家族の記述として、藩の下士だった加藤種之助の弟という記述があるのです。国と藩とは違うのか?
それに対する回答として一番分り易かったのが、「YAHOO! JAPAN知恵袋」のwoo*********さんの答でした。
「国は律令制の頃の地域です。藩は版籍奉還で大名領が天皇に返されその代わりに公称になった旧大名領です。
江戸時代から藩があるように思われてますが江戸時代の公称は領です。藩が公称になったのは明治時代からで2年くらいで終了し府県が置かれます。これが廃藩置県です。
なので史実的には薩摩藩や長州藩といった江戸300藩はありません。藩主や藩士なども造語です。薩摩は国名、長州は国名の別称です。」
ネットで注意して見ると、私同様、このことを知らなかった人の「驚き」の言葉がいくつも見付かります。鋭い指摘と知識のある人の説明で、いくつになっても勉強できるのは幸せです。
2024年のこれからも心配ですが、健康に留意しつつ、少しでも良い年にすべく頑張りましょう。
[2024/1/26 人間イライザ]
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