総理就任以前に二度もわが国を救った友三郎
――命日は8月24日です――
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広島市出身初の総理大臣加藤友三郎の生涯を振り返りつつ、政治のあり方について考えていますが、友三郎の生涯を学ぶ上で、もう一冊、重要な伝記を御紹介しておきます。豊田穣著の『蒼茫の海――提督加藤友三郎の生涯』(1983年、プレジデント社。文庫版は2016年、光人社)です。
友三郎の偉大さについて、健筆を揮って世に広めてきた郷土史家の田辺良平さんが、『Current Hiroshima』誌の2022年8月号に、分り易い一文を寄せられています。「忘れてはならない8月24日」というタイトルですが、友三郎の偉業をそこから抜粋する形でお届けします。
「8月6日は、広島に世界最初の原爆が投下されて、一瞬にして10幾万人もの無辜の民が殺戮されたという、日本はもとより全世界の人たちにとっても、終生忘れてはならない日となってします。少し次元は異なりますが8月24日も、特に広島人にとっては忘れてはならない日と私は思うのです。」
「この8月24日は、第21代内閣総理大臣加藤人三郎が、現職のまま病気で亡くなった日なのです。」
「総理になる以前にはわが国益を2度にわたって助けているのです。その一つが、明治38年5月の日露戦争での日本海海戦で、連合艦隊のナンバー2の立場である参謀長として活躍した結果、わが国は敗戦国とならずに済んで、敗戦によるさまざまな困難が回避できたことです。」
「もうーっは、大正10年11月から翌年2月にかけて、ワシントンで行われた主要海軍国5か国による「海軍軍縮会議」の首席全権として出席し、米国から提案されたわが国の海軍力を、米国の6割に縮減する提案を受託したことです。」
「加藤は、日本海海戦により日露戦争を終結に導いたことで平和を招き、もう一方ではワシントンの軍縮会議で外交手腕で平和を実現させたのです。」
総理大臣としての在任期間は1年2か月でしたが、短期間にもかかわらず素晴らしい仕事をしていることも忘れてはなりません。(続く)
そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!
[2023/7/9 人間イライザ]
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