加藤友三郎の高潔さ
――名誉・権力・金・地位等とは無関係――
中央公園の加藤友三郎像 (常広一信氏撮影)
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広島市出身の初の総理大臣加藤友三郎の偉大さについて紹介していますが、『麻田』では彼の政治スタイルを、「独断専行型」と呼んでいます。ややもすれば、それは「独裁者」とか「ワンマン」といった悪しきリーダーの姿と重なるのですが、友三郎はそれとは正反対の人物でした。『工藤』の264ページから265ページには、その姿が活写されています。
およそ友三郎は誰からでも愛されるような人間ではなかった。見るからに短気で、プライドが高く、近寄りがたい人間のように える。
ちなみに今日の政治家は、白い歯を出してにやけている。その政治活動といわれるものは、街の「御用聞き」とほとんど変わらない。選挙民におもね、「させていただきます」などと言い、過度にヘりくだる。しかし心からへりくだっているのではない。心の中では国民を馬鹿にしきっている。そんなことが、透けて見えてくる。
子弟の就職斡旋、進学幹旋、冠婚葬祭など、こまごまとした「御用聞き」の如きささいなことはあくせくするくせに、国家のグランドビジョンについては何も描こうとはしない。根本的にはグランドビジョンを描く能力がないのである。
これから日本がどのように進むべきであるのか、国家や社会の安全をいかにして図っていけばいいのかについてのビジョンを語れないのである。
言葉だけが虚しく飛び交っているだけである。
われわれが「政治家」(ステーツマン)に期待するのは、政治のプロとして日本のグランドピジョンを構想してくれることである。さまざまな補助金をつけて近視眼的な利益で国民を釣ろうとすることが見え見えの今日の政治家の姿に、心ある人間は憤慨している
こうした今日の政治家と対極にあるのが、加藤友三郎という人間である
およそこの男は、人におもねるということがない。口数は少ないが、自分の役割というものはきちんとこなす。功を上げてもそれをひけらかすことは一切しない。
出身閥を作ることは一切ない。こうしたことには、まったく関心かないのである。だから大衆的人気というものは、沸き上がりようがない。しかし友三郎がやってきたことを調べてみると、その慧眼の確かさに驚かされる。
そして『工藤』では、友三郎の人生を全て、次の言葉としてまとめています。
あと数年友三郎の命がもってくれれば、太平洋戦争は避けられたのではないだろうか。
『田辺』では、同郷で後に貴族院議員になった和田彦次郎に友三郎が語った言葉を引用しています。
「自分は有用の人物であれば同郷人であろうがあるまいが、推薦もしくは引き立てもするが、ただ同郷の人であるというのみで、特別に世話をすることは出来ぬ。自分は従来そういう主義で来ているのだから、同郷人の間での評判は定めし悪いであろうが致し方ない」
当然、自分の家族だからといって引き立てることなど飛んでもないと考える人物だったのです。
これほど優れた軍人・政治家だった友三郎から、私たち、そして未来の世代が何をどう学ぶべきなのでしょうか。難しいかもしれませんが、こんなに良いお手本があるのに、その存在は全く知らない、知っていても何も学ぼうとはしないのでは、我が国は勿論、世界も衰亡の一途を辿り、やがて、いや近い内に滅亡してしまっても不思議ではないとさえ言えるのではないかと、憂えています。
そして皆さんにとって、今日一日が素晴らしい24時間でありますよう!
[2023/7/8 人間イライザ]
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