ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

「尾木ママ」と対談しました (2) ――原水禁世界大会の前にもいくつかの大会がありました――

尾木ママ」と対談しました (2)

――原水禁世界大会の前にもいくつかの大会がありました――

 

1961年の夏、原水禁世界大会の通訳としての仕事を始めたのですが、世界大会の前にもいくつかの大会があり、そこでの仕事が通訳としてのデビューでした。

一番大きな大会は、多分江東区の公園で開かれた、全国からの平和行進が東京に集結した際に開かれた大会だったような気がします。とにかく大きな会場で、参加者数は4万人だったことをウッスラ覚えています。

その大会で、海外からの来賓が何人か挨拶をしたのですが、その一人がインドから来た人でした。その前に数人の挨拶があったので、その大会での発言の方向性は分っていたのですが、事前のスピーチ原稿はなしで、しかも、突然通訳の先輩から「次はお前」と指名されたのですから、心の準備などはできていません。

インド人の英語が分り難いことは知っていましたが、いざスピーチが始まると、何を言っているのか全く分りませんでした。「アメリカ」というところは分りましたし、アメリカを褒めているのではないことも当然です。

延々と話し続けようとするところを遮って、「通訳をするから」と言って、覚悟を決めて話を始めました。「今日インドから着きました。インドの人々からの熱い平和のメッセージをお伝えします」といった辺りで、会場からは大きなドヨメキが起こり、拍手と歓声で会場は熱に包まれていました。

その先は、これまで何人かのスピーチの内容をなぞって、「アメリカ帝国主義を倒せ!核実験を禁止し、原水爆は廃絶せよ!平和を愛する世界の兄弟たちとの連帯で、我々は必ず勝利を掴み取るぞ!」といった調子で、いわゆるアジ演説をしました。

良くそんな度胸があったと今にして思うのですが、とにかく会場の熱気に包まれて、例えばウッドストックのコンサートで周りの熱気に押されて踊り狂う若者のような乗りで、「通訳」を終えたような気がします。

後で、英語の良くできる先輩の一人に聞いたところ、インドの代表が喋ったこととそれほど違ってはいなかったので安心したのですが、後輩を思っての先輩の配慮と激励の言葉だったのかもしれません。

次の会議は京都でした。その年の原水禁の世界大会は京都会館で開かれたのですが、その前に数日は、世界宗教者平和会議が、京都会館のすぐ裏の会場で開かれました。夏の暑い時期に冷房もない会場で、しかも通訳ブースもないところでの会議でした。ブースがあればあったで、ブースの中は灼熱地獄になりますので、それも大変なのですが、とにかく、頑張りました。

京都会館は、当時出来たばかりでコンクリートの打ち放しという新しい建築様式が注目されていました。設計者は前川國男氏で、一連の会議が終わってから建築を専攻している中学以来の友人N氏に案内して貰って、京都会館の中を詳しく見学したものでした。ついでに京都や奈良の神社仏閣を見学したことも懐かしく思い出しています。

この会議で大変だったのは、日本語のスピーチを英語に訳すことでした。仏教系の発言が多かったので、それを英語に訳すのですが、「西方浄土」とか「阿弥陀経」とか「浄土三部経」という、日本語でも内容が良く分からない言葉を訳すのですから、正に地獄です。その当時は、仏教の言葉を英語で説明してくれている本など容易に手に入りませんでしたので、「仏教入門」のような本をもとに、自分の頭で理解できる範囲で、なんとか英語の表現を考えました。事前に勉強する時間が少しはあったことで、何とか会議は乗り越えることができました。

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この会議は英語で、World Conference of Religionists for Peace なのですが、正式にはその10年後に、同じく京都で開かれた会議が第一回の会議だということになっています。となると1961年の会議はそれを準備するためのいくつかの会議の一つだったのだと思いますが、宗教と平和との関係が良く分かりましたし、宗教者の責任感、使命感にも触れることができて、とても勉強になった会議でした。

そしてこの会議との縁がその後も続くことになるのですが、それは次回に。

[2022/2/11 イライザ]

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