水曜日の老人クラブの総会・懇親会後、帰り道が同じだったY2さんと世間話をしながら歩いていたのですが、綺麗に手入れされている花壇の前まで来ると、「ちょっと待っていて」と言ったままY2さんが家の中に消えました。
写真は逆光で美しさが上手く撮れていませんが、見事なチューリップばかりです。その中から数本を切って、「今が見頃だから」と渡してくれました。その花壇は息子さんが丹精を込めて世話をしているのだそうです。有り難く頂いて、家に戻ってすぐに生けましたが、屋外では分らなかった、花の大きさに圧倒されました。
特に際立っていたのが八重のチューリップでした。「八重」のチューリップがあることさえ知らなかったのですから「驚愕」という言葉がピッタリするほどの衝撃を受けました。黄色と赤の八重のチューリップ゜ですが、これも、絶頂の日を過ぎてから撮りましたので、迫力は少し減っているかもしれません。
せっかく八重のチューリップの美しさをお伝えしようとしているのですか、Y2さんの花壇まで戻って、写真を撮ってきました。
元に戻りましょう。チューリップを頂いた日と、次の日は問題がなかったのですが、三日目になって気付いた時には、花が大きいため、そして茎を短く切らなかったため、茎が曲って、花が横を向いてしまっていたのです。茎の曲っている写真を撮っておけば良かったのですが、対策を講じることに気を取られてしまって、そこまでの余裕がありませんでした。
支柱を立てて、茎を支柱に結び付ければ問題は解決します。でもふつうのお箸では短すぎます。菜箸なら良いのですが、余りにも風情がありません。庭に竹の支柱があったことを思い出して探しに行ったのですが、たまたま目に付いたのは、かなり前に切ったモミジの枝でした。長さもちょうど良いですし、美的にも枯れた竹よりはチューリップに相応しい選択です。
と言うことで、茎を枝に結び付けました。黄色の印で結び目を示しています。
その結果が、こちらです。何とか、見られるようになりました。
自慢する訳ではありませんが、どちらかというと無風流の私でも、何とか「お花」のような「作品」を創ることが出来て、ハタと膝を打ちました。ことによると、華道というのは、このような経緯から始まったのではないだろうか?つまり、私は「華道事始め」を体験したのではないだろうか?と思ったのです!!
でもそれは違いますよね。花の美しさを理解し、同時に美的センスも抜群の方々が、長い時間を掛けて磨き上げて来られたのが華道のはずですから。でも、無風流の私でも「お花」を生けられそうだという、自信のようなものを持てた嬉しい一時でした。
[2019/4/23 イライザ]
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コメント








あまりにキレイな花々なので、
まず写真ファーストと辿っていきましたら、
おお、何と絶妙な。
ガラスの器と、長い枝のひと挿しが素晴らし。
昨今の(でもないか)米欧の映画→
茎をも愛でるがごとガラスのそれにわっと挿す→
を多々見受ける(でもないか)→これたまらなく魅力。
おお、さすがぁと。
すぐに活字を追ったら、
... ! ああでもなくこうでもなくの[E:#x1F44D]たまもの[E:#x1F44D]でしたのね。
投稿: 硬い心 | 2019年4月24日 (水) 21時19分
「硬い心」様
コメント有り難う御座いました。八重のチューリップの美しさには、言葉もありませんでした。でも、重力は無慈悲でした。しかし、華道が重力に抗するに人間の営みの一つでもあるのかもしれないと気付いて嬉しくなりました。いわば、「真」と「美」が結び付けるということですから。それに「善」をどう絡めて行くのかが難しいところですが――。
投稿: イライザ | 2019年4月24日 (水) 22時36分