人は何故、退職後に真実に気付くのか?
――権力を手にしていた時のネガティブな貢献は帳消しになるのか?――
小泉純一郎元首相が原発に反対する意思を公にしたために、反原発運動にはかなりの勢いが付いているように思います。 (「反」原発とか「脱」原発等、色々な表現があって微妙なニュアンスの違いを表現しなくてはならないような風潮も見受けられますが、それって、反原発運動の力を削ぐための戦略に乗せられてしまっているような気がします。「大きく」まとめて「反」原発と言っておきます。)
By White House photo by Paul Morse [Public domain],
via Wikimedia Commons
小泉元首相が、反原発の立場を取らずに今でも原発推進の旗振り役として頑張っているという可能性もあった訳ですから、それと比べると、もちろん、反原発の立場を表明したことは評価に値しますし、彼も巻き込んでの大きな運動を創って行くことも大切です。
同じように世界的に注目されたケースでは、2007年1月に、アメリカの元国務長官だったヘンリー・キッシンジャーとジョージ・シュルツ、元国防長官のウィリアム・ペリー、そして上院の外交委員長を長く務めたサム・ナンの4氏が『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に「核兵器なき世界」と題する論文を寄稿して、核兵器の廃絶を提唱しています。この4人を「賢人」とまで持ち上げる報道もされましたが、政府の高官であった時代には、核抑止論の強力な信奉者・推進者であり、アメリカが核超大国であり続けるための中心的役割を果して来た人たちでしたから、世界に与えたショックは大変大きいものがありました。
ここでも小泉元総理と同様に、引退後も核兵器・核抑止論の強力な信奉者として、リーダー的役割を果したとしてもおかしくはない人たちでしたので、それと正反対の立場に立ってくれたことは世界的に大歓迎されました。
同時に、いくつかの本質的な疑問も頭に浮びました。それを「批判」という形で述べることもできるのですが、それ以上に核廃絶 (核兵器だけでなく原発も含む「核」です) を実現したいと願っている私たちの心の中には、政治の枢要の立場にいる人たちが退職後ではなく、実際に権力を行使できる間に頭の切り替えをしてくれていたとすれば、私たちの目標はもっと確実にそして早く実現できたかもしれないのに、という願望そしてそれとは違ったシナリオで事が起きていることへのフラストレーションや悔しさと言ったら良い感情があることも事実です。
それを疑問という形で表現しておきましょう。「何故、退職後にしか真実に気付かないのでしょうか?」あるいは「何故、退職後にしか、真実を表明できないのでしょうか?」、そして核廃絶へのプロセスを加速するためには、仮に退職後の覚醒が多くの人にとって抵抗が少ないからだと仮定して、「どうすればもっと多くの人が、退職後に真実に気付くようになるのでしょうか?」さらには、「現役の時代に覚醒して貰うためには、何が必要なのでしょうか?」も知りたいですし、「退職後に反核の立場を取ることで、現役時代の核推進への貢献は帳消しになっているのでしょうか?」も関連してきます。
そして、対照的なケースとして、スポーツ選手としての最盛期の数年を棒に振ってもベトナム戦争反対・人種差別反対の立場を明確にしたモハメッド・アリや、オリンピックから排除される結果になってもメキシコ・オリンピックで人権擁護のために「スタンド」に立ったトミー・スミス、ジョン・カーロス、そしてピーター・ノーマンが頭に浮びます。
人生のどの時点で真実に目覚めることになるのかは別として、真実に目覚め行動することの意味を再度強調したいと思いますが、若い世代に希望を与える人生という側面も、同時に、良いお手本として残していって欲しいと思うのは欲張り過ぎでしょうか。
[2018/3/1イライザ]
[お願い]
文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。




(正式dinner級の問いかけにいつものfast food的コメント+seniorのtime lag許されよ)
「 「3:2:5」の構図 」 と「 ネオ小泉のトリセツ 」
昨秋、アソウ某が(たしか)、日本人は右3割・左2割・中道5割云々と。
それを受けて??(まさか)
小熊英二氏が『世界』1月号 で 「 「3:2:5」の構図 」 として考察。
「2」→先細りを防ぐには、とにかくも「5」を取り込まねば。
のためには→何を今さらのネオ小泉でも利用せねば。
あの人が!と思わせる何かがまだ残っている間に、
とことん旗振ってもらおう。今までの罪滅ぼしに。
(中道→同調行動・沈黙・無関心
左→弱者の側に立つ人、と考えたい)
投稿: されど映画 | 2018年3月10日 (土) 19時53分
「されど映画」様
コメント有り難う御座いました。
かつては、政治的な意見の分布は、右と左がそれぞれ、25パーセント、中間が50パーセントと言われた時がありました。その内の5パーセントが変ったのかもしれませんが、何故そんなシフトが起きたのかを考える必要があるのかもしれません。
20世紀の後半は、テレビの高視聴率のトップにニュース番組が並んでいた時代だったこと、でも今ではその影さえないこととも関係があるのかもしれません。
投稿: イライザ | 2018年3月11日 (日) 20時05分