オリンピックのボイコット
――戦争するよりは、はるかに良いのでは――
昨日も触れましたが、スポーツと社会についてシリーズで書き始めたのは、尊敬する岡潔先生のエッセイが頭にあったからです。昨夜の『天才を育てた女房』は如何だったでしょうか。
さて、2月も終りに近付き平昌オリンピックもあと数日で幕を閉じますが、南北の融和報道も過熱しましたし、オリンピックに合わせての各国の外交面での動きもありました。その中で、北朝鮮の動きだけは「政治的」だと言われながら、全体的にはそれほど強くは非難されていなかったように受け止めています。
しかし、過去のオリンピックでは、国家単位でのボイコットが3回行われており、その時にはオリンピックと政治が大きな問題になりました。
まず、1968年のメキシコ・オリンピックではアパルトヘイト政策を続けていた南アフリカの参加をIOCが認めたことに抗議して、アフリカの26か国が不参加を表明し、ソ連等もそれに賛同しました。最終的にIOCは南アフリカの参加を認めずボイコットは回避されました。
また国家による政治的な動きではありませんが、1972年のミュンヘン大会ではパレスチナの武装組織「黒い9月」がイスラエルのアスリート11名を殺害する事件が起きています。
1976年のモントリオール・オリンピックでは、アパルトヘイト政策を巡って、南アフリカへの遠征を行ったニュージーランドチームの参加をIOCが許したことに抗議して、アフリカの22か国が不参加でした。
最も劇的なボイコットは1980年のモスクワ・オリンピックでした。その前年、1979年のソ連によるアフガン侵攻に抗議するアメリカが呼び掛け、日本、韓国に加えてソ連と対立していた中華人民共和国、またイラン、パキスタン等、ソ連の軍事的脅威に怯えていた国々など50カ国近くがボイコットしました。
それに対する報復として、1984年のオリンピックでは、表面上の理由はアメリカのグレナダ侵攻でしたが、ソ連等、東欧諸国地域16がボイコットしました。
ただし、1988年のソウル・オリンピックではほとんど全ての国が復帰しています。
「スポーツに政治を持ち込むな」という言葉とは裏腹に、国家がオリンピックを政治的意思表示の場として使ってきた歴史を辿りましたが、国家単位で見た場合、戦争をするよりはこのような形での主張をする方がはるかに優れた選択であることは論を俟ちません。
それ以前の問題として、「政治的」という言葉がネガティブな意味で使わるときには、しばしば、「政治的」という言葉の定義そのもの、その結果として押し付けられるルールも、何らかの意味での「政治的力」を持つ人々の意思によって決められてしまう傾向があります。
そして、多くの人間的活動の場で見られるように、権力によって作られてきた社会の歪みは、人類史の中で「市民的」努力によって表現され言語化され、政治的な課題として捉えられ、さらに多くの人たちが力を合わせることで、全ての人間にとってより公平で理想に近い形に修正されてきました。
そうした面の例として、モハメッド・アリに続いて、1968年のオリンピックでの三人のアスリートの勇気を取り上げた意味も再度御確認いただければ幸いです。
画像は「夏季オリンピックの参加国の変遷」からお借りしました。
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こうして改めて整理されてみると、
政治的であろうが、なんであろうが、
武力でその意思を表現されるより、
不参加という形での表現のほうが、まだマシだという感じですね。
こんな解釈ができるとは、
ちょっと驚きです。
投稿: セイジ | 2018年2月24日 (土) 10時26分
「セイジ」様
コメント有り難う御座いました。
戦争よりはボイコットの方がましですが、オリンピックを専ら国威発揚の場にして、「愛国心」⇒「戦争」という流れを目論んでいる人たちもいるようですので、要注意でもあります。
投稿: イライザ | 2018年2月24日 (土) 17時21分