森滝市郎先生と座禅
昨日、生前森滝市郎先生が、教え子たちとともに何度も通われた竹原市忠海町の小林窟(しょうりんくつ)座禅道場を、森滝春子さん(森滝先生の次女)とそのパートナー田室さんと一緒に訪問しました。
小林窟道場は、勝運寺という古刹のすぐ上側の閑静な場所にあります。春子さんの来訪を心待ちにされていた第五代道場主・井上希道老師との懇談の時間は、静けさの中で心安らぐ思いで過ごすことができました。
森滝市郎先生と座禅を行ってこられたことは、このブログでもかつて紹介したことがありますが、森滝先生にとっての座禅の原点ともいえる小林窟道場を森滝春子さんと一緒に訪ねたいと思っていましたが、それがようやく実現したのです。
森滝先生の座禅との出会いは、学生時代のようですが、小林窟道場とのかかわりが深くなられたのは、広島大学に禅道会を作り、校内で学生たちとともに座禅修行を始められた時からのようです。その座禅の指導をされた方が、第3代道場主井上義光老師でした。
そのため先生は、広島大学出の座禅会を行うとともに、夏休みなどには学生たちと竹原市忠海の小林窟道場に出かけられ、修行を積まれたようです。
また先生は、この地に専用の座禅道場を作るため(それまでは、勝運寺の本堂が座禅堂となっていた)、学生たちとともに托鉢も行われたようです。その時の写真を今日拝見しました。
私はこれまで、「森滝先生と座禅」と言えば、慰霊碑前の座り込みとのつながりを想像するだけでした。ところが今回、この小林窟道場を訪ねるにあたっていろいろと調べてみたり、昨日井上老師のお話をお聞きすると、座禅は、森滝先生の人生のすべてに深く根差しているということがわかりました。そのことを私は、次のような文章の中から学びました。
森滝先生が被爆された8月6日の日記にこうした記述があります。
「一時間ばかりして重傷者とともに市内の病院に送らるるため、貨物自動車にて出門す。しかるに江波の町家屋破壊し、道路進み難く、付き添いの西山君ら道路の木材などを取り払いて車僅かに進む。(中略)行く手煙に包まれ、すでに車進み難く引き返す。(中略)自動車ようやく(造船)所に帰る。しばらく学徒教室に憩いようやくにして救急所に収容さる。結城眼科医診察し右眼失明覚悟を申し渡さる。眼部に包帯を施され、救急所一部に禅を組みて座す。しばらくありて所長・・・・」
失明の危機の中、そして混乱のさなかにも座禅を組まれた森滝先生。
次は奥様しげさんの述懐です。先生の卒寿を記念して発刊された本への寄稿文からの引用です。
「そして退院の時、担当の先生が、これほど重傷だった肋膜炎が良く治ったね、と仰ったとき、私は勿論先生のお陰と頭が下がる思いをしたのであるが、その一方、学生のころから参禅していたという夫の、その座禅によって得た精神力というものも初めて感じたのでもあった。」(金子注:結婚された間もないころのこと)
「夫は学生時代から参禅していて、これがいつ何をやるときも精神的な根底になっているようである。原爆に遭い、片眼を失って星田眼科に入院しているとき夫が得たもの―『力の文明より滋の文明を』というのもやはり禅と通じる道であり、『最大多数の最大幸福』と英国倫理学から学んだことも、実践に移してこそ、今日に生きる倫理となる。」
「座禅で修得した胆力は原水禁運動への取り組みを強固なものとし、命を大切にすることは、これもまた学んだ倫理学の奥所であり、慈の文化の第一歩である。」
森滝先生の運動の中には、幾多の困難な出来事や時期があります。それを森滝先生は、座禅で培われた精神力によって克服されてきたのだなと思います。
小林窟からの帰りの車の中で春子さんからこんな話を聞きました。
「父は、外でどんなことがあっても家に帰って家族に話すようなことはありませんでした。でもそんなとき、必ず自分の書斎にこもり座禅を組んでいました。」
私にも、いつも優しく接していただいた森滝市郎先生の姿を改めて思い起こしています。
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