ヒロシマの心を世界に [春宵十話]

核のない平和な未来を創るために

小さな神社の300年祭と原爆ドームの奉納額

小さな神社の300年祭と原爆ドームの奉納額 

 

生まれ育った広島市安芸区船越の字名竹浦地区にある小さな神社の造営300年のまつりが行われた。


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この竹浦地区は左右の山の形が鼓を連想することからから鼓が浦と呼ばれた地域。江戸時代以前は看板の立つコンビニの手前は海の入り江だった。この谷あいを登ったところに大年神社がある。

 

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1023日にその大年神社の300年祭(享保元年から300年)が町内会や青年団、地元の皆さんの協力のもとに行われた。

 

 

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9時、その大年神社までコンビニの前からスタートして坂道を地元の青年団の獅子舞を先頭に行列がつづく。

 

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神社の境内の入口の階段を獅子が舞いながら上がっていく。

 

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その後ろを神輿が駆け上る。

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獅子は休む間もなく本殿で獅子舞を奉納する。

 

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お囃子は篠笛と太鼓のみ。なかなか見る機会がないので皆さん静かに見入っている。

 

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祝詞のあと餅まきがあって11時に終了。300年という年月の区切りがつけらた。

 

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この祭り参加して本殿に上がると原爆ドームの刺繍絵の奉納額が目に入った。平成114月吉日とある。地元のご夫婦の名前が記載されてあった。

 

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お名前を頼りに家にある船越原爆被害者の会発行の被爆体験記をめくってみた。

 

奥さんが体験を書かれていた。妹や親戚を探しに母と市内に3日目に入り広島駅から相生橋、横川などを歩いた時の悲惨な状況も書かれている。終わりの所で「船越に嫁いで来て、この辺りも建物にかなりの被害があったそうです。障子の骨が折れたり、天井が押し上げられたり、今でも私方の家では、東側のむね木を支えている木が、外側に飛び出しています」とある。平和を願う強い気持ちで奉納されたのだろう。

 

 

 

私の家も窓ガラスが割れ、3女で姉の栄子が学徒動員で被爆し行方不明のままだ。その妹を探して入市被爆した長女の和子はこの大年神社に毎日詣でて境内の掃除などを欠かさなかったことが思い出された。

 

船越原爆被害者の会発行の被爆体験記は昭和591984)年110日に第一集が発行されその後第三集まで発行された。約350人からの応募があったことが記載されている。

 

 

10月29日 

 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

 

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