『あめりか物語』
「好きな辞書」とその②「high school sweet-heart」の続きです
「私の本棚」はNHKのラジオ番組で、文学その他の名作を樫村治子さんが朗読してくれました。他の人も朗読をしていたようなのですが、私の頭の中には「樫村治子」が焼き付いています。1949年から60年近く続いた、まさに「昭和遺産」と呼べる番組でした。
さて、現実に戻って「私の」本棚ですが、小学校の高学年になって近くの八百屋さんで貰ったリンゴ箱を使って「自分の本棚」を作りました。その上にはこれも自分で作った5級スーパーを置いていたのですが、ある日、家族ぐるみで付き合いのあった同級生のお姉さんに「本棚を見せて」と言われました。年の離れたお姉さんで、当時もう大学生でした。お姉さんは本棚や5級スーパーには目もくれずに、手帳を出して「私の本棚」に置いていた本の名前を書き始めました。妹の勉強を助けるためにお姉さんが乗り出したという感じでしたが、呆気に取られながらも、何か大切な秘密を盗まれたような気がしたものです。
最近は、私たちの世代が幼い頃、また少年時代やその後、熱中して読んだ本が忘れられて行くことに寂しさを感じています。「私の本棚」を積極的にPRして、少しでも多くの人に、私たちの時代の感激を味わって貰いたいと思うようになりました。「好きな辞書」の紹介も続けますが、その他の本も紹介させて頂きます。今回は永井荷風の『あめりか物語』です。
明治時代の文豪と言えば、誰でも夏目漱石を最初に挙げると思います。お札に肖像画が使われ、朝日新聞が彼の連載を再掲したりNHKのドラマになったりと、イギリスで言えばシェークスピアに匹敵するような存在です。その他にも忘れてはならない作家がいるのですが、その中で特筆に値するのが永井荷風と森鴎外です。
これも嗜好の問題で、ビートルズよりはボブ・ディランが好きだというレベルで論じれば良いのかもしれません。一つ違うのは、ビートルズもボブ・ディランも、良く知られているミュージシャンの中に入りますが、永井荷風を知っている人はあまり多くないと思われることです。その理由はいろいろありますが、現代社会の価値観を元に彼の生涯を判断すると、倫理観の欠如、常識を超えた振る舞い等が目に付き、それが作品にも反映されていることから、健全な読み物として若い人たちには勧められない、という判断もあることが一つだと思います。もう一つは、明治時代に活動を始めた作家ですが、明治を代表するというよりは江戸の文化や価値観を反映した作品に特徴があることです。
漱石が西欧文化とも両立する作品、つまり現代でも通用する作品を生み出したのと対照的ですし、多くの友人や弟子たちに慕われたこととも対照的に孤高の立場を貫き、晩年もゴミ屋敷のような家に住み、浅草の歓楽街に通うといった生活をしていました。そんな中でも1952年には文化勲章を受章、また晩年住んでいた市川市から2004年に名誉市民号を贈られるなど、彼の芸術性は理解されていたと言って良いのではないかと思います。
まずは永井荷風の作品の内、私が本格的に永井荷風を読み始めるきっかけになった『あめりか物語』を紹介したいと思います。荷風は1903年、アメリカに渡り、最初はミシガン州のカラマズー・カレッジで勉強し、翌年ニューヨークで銀行員として働くことになりました。1907年には転勤して憧れのフランスに渡っています。
アメリカでの生活を元にした『あめりか物語』は、フランスから帰国した1908年に上梓されています。その後、フランスでの経験を元にした『ふらんす物語』を1909年に出版していますが、発刊後直ちに発売禁止になっています。
今夜はこれで力が尽きました。続きは次回に。
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子供の頃父の本棚に永井荷風と久保田万太郎の本があったのを覚えていますが、
「永井荷風はまだ早い」といって読ませてくれませんでした。
結局両方とも読まずに、いまになってしまいました。
久保田万太郎さんとはかなり親しくしていたと母から聞いたことがあります。
改めて読んで見ようかな!
投稿: | 2016年10月20日 (木) 06時59分
コメント有難う御座いました。
是非読んで見て下さい。そして感想を聞かせて下さい。
ただし、『あめりか物語』にしても他の作品にしても万人に愛される種類の内容ではないかもしれません。そのことは次回説明する積りですが、明治や江戸の日本を肌で感じられる作品は素晴らしいと思います。
投稿: イライザ | 2016年10月20日 (木) 17時11分