テレビの音楽番組で、次の曲を紹介する決まり文句は大体、「次は『長崎の鐘』です。歌は藤山一郎さん、作詞サトウ・ハチロー、作曲古関裕而。伴奏は○○アンサンブル。ではお願いします」辺りでしょう。
ここで、作曲者が作詞者より先に紹介されることはあまりありません。それは、多くの歌の作り方と関係しているのかもしれません。まず歌詞があり、それに曲が付けられるという順序です。外国曲に日本語の歌詞を付ける場合は当然曲が先ですが、そのような例外があり、他にも確かに例外はあるにしても、普通の順序は歌詞、次に曲だと言ってしまって良いでしょう。
駄目押しとして『野ばら』を挙げておきましょう。作詞はゲーテ。作曲したのはシューベルトとウェルナーが有名です。その他にベートーヴェンやシューマン、ブラームスも曲を付けています。詩が先にあり、それに曲を付けることで歌になるという好例です。
これは私が、親しい友人何人かとの論争で主張し続けてきたことなのですが、「歌で大切なのは、まず曲。曲の良さこそ歌の命だ」と主張して譲らないのが「主曲派」のAさんです。歌詞と曲と両方なくては成り立たない訳ですから、バランスの問題ではありますが、そのバランスをどこで取るのかが争点です。
例えば、カラオケに行って歌う曲に限って論じると、私の好きな曲は、どれも歌詞が好きでなくてはならない、という範疇に入ります。Aさんの言い分を極端に簡略化すると、「歌詞なんてどうでも良くて、とにかく曲が良ければ歌う」ことになります。
どの歌が好きでその理由はこれこれしかじか、と言ったところで所詮は好みの問題ですので結論は出ないのですが、最近、強力な味方を発見しました。五木ひろしさんです。個人的に知っている訳ではありませんので、「五木ひろし」と敬称を略しますが、彼の持論はまず歌詞があり、それに曲が付いて、最後に歌手がいる、という順序です。
『昭和歌謡黄金時代』という、昭和遺産である歌謡曲についての彼の経験や蘊蓄を収めた楽しい本の中で、何度も「歌詞が先」だと強調しています。歌の好きな方にはお勧めの一冊です。
その中のエピソードの一つですが、彼は、南こうせつとは「全日本歌謡選手権」で一緒になったことがあり、その後も交流が続いたそうなのです。そして五木ひろしを世に出すきっかけになった「よこはま・たそがれ」(作詞山口洋子、作曲平尾昌晃、1971年)を初めて演奏したのが、楽屋で南こうせつを前にしてのことだったのだという話です。何だか意外な組み合わせそしてやり取りに思えますが、音楽の才能のある人にとっては、ボブ・ディランも吉田拓郎も、そして五木ひろしや南こうせつも、ジャンルを超えることにはそれほど違和感がないのかもしれません。
さて「歌詞か曲か」論争ですが、Aさんは五木ひろしの大ファンという訳ではないので、彼の本を持ち出しても、私に有利な展開にはなっていなかったのですが、今度はノーベル文学賞委員会も味方に付いてくれたようですので、これからは私の方が優勢になるかもしれません。
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すみません。「主曲派」です(^_^;)
確かに、クラシックの場合、ゲーテの「野ばら」のように、曲とは独立して詩人による詩が先に存在し、それに曲が付けられるケースが一般的ですが、ポップスや歌謡曲の場合は、歌詞と曲は一体のものが多く、インストゥルメンタルとして、歌詞抜きで曲のみが演奏されることも珍しくありません。逆に歌詞のみが朗読されるようなことは稀ではないでしょうか。
また、海外の歌の場合、ボブ・ディランのようにメッセージ性の強いものは別として、歌詞の内容までは把握せずに聴いていることも多いと思いますし、グローバルには言葉より音楽の方が普遍的なものだと思います。
ちなみに、井上陽水は意味不明の言葉の羅列(響きだけ)で曲を作り、あとから歌詞としての辻褄を合わせる、と聞きましたし、村下孝蔵の曲も後で歌詞だけ大幅に書き換えるということがありました。(これらは歌詞はどうでも良いわけではない、という証左にもなりますが…)
とは言え、私が主曲派なのは、言葉、言語、文学に疎く、苦手なためで、作る側も聴く側も、そうした個人的な能力、適正、嗜好にも大きく左右されることのような気がします。
投稿: 工場長 | 2016年10月19日 (水) 12時55分
面白いですね。
私は、曲か歌詞かといより、昔はLPレコードのジャケットで選んでました。(笑)
日本語の歌は、歌詞ですが、言葉の分からない国の歌は、曲とか意味のわからに言葉のフィーリングです。
そいえば、クリスマスソングでよくかかる定番の歌で、曲はノリノリなのに、歌っている英語の意味は惨めなのがありますよね。題名は忘れましたが。
カラオケでは歌が下手なので行きませんが、自分で一人で歌うときに気持ちや感情を込めるときには歌詞が優先ですが、鼻歌では曲が優先になります。
投稿: やんじ | 2016年10月19日 (水) 13時31分
「主曲派」って呼び名が気に入っております。コメント失礼します。私も主曲派なのですが、曲先行が当然とも思っていましたので、改めて色々考える機会になりました。右脳と左脳の発達の違い?とも考えましたが、工場長さんのコメントの通りと納得しました。また、発達段階で楽器演奏の教育を受けたかそうでないかも影響するのではと思いました。私は五十音よりも楽譜を先に覚えましたし、色々な楽器も経験したので、今でも様々な場所でのBGMは苦手です。メロディや副旋律、ベース音まで頭で楽譜になりますので、人と話していてもBGMが気になり話がめちゃくちゃになります…このブログに度々登場する、日米の言語シリーズから、イライザさんが主詩派なのは大納得です。
投稿: 「主曲派」です(^^) | 2016年10月19日 (水) 13時56分
「工場長」様
コメント有難う御座いました。歌の作り方も多様だということが良く分りました。歌詞が常に先行ではないこともきちんとインプットできました。
私の場合、内容の全く分からない中国の歌で良いものを聞いても、音としての歌詞の良し悪しが気になりますし、意味が知りたくなるのは「主詩派」の証明になるのかもしれません。
もう一つ気付いたのは、「工場長」さんも、「「主曲派」です(^^)」さんも音楽的才能の持ち主だという共通点のあることです。
投稿: イライザ | 2016年10月19日 (水) 14時39分
「やんじ」様
コメント有難う御座いました。やんじさんは「主ジャケット派」と呼べば良いのか、それとも状況によっていろいろな顔が現れるようですので、「状況派」でしょうか。何を優先するのかの選択が固定されたものではないという点も重要ですね。
クリスマスソング、どの曲でしょうか。興味津々です。ヒントでもあれば教えて下さい。
投稿: イライザ | 2016年10月19日 (水) 14時44分
「「主曲派」です(^^)」様
コメント有難う御座いました。脳の構造や内容によって何が優先されるのかが影響を受けることは納得です。
楽器が弾けるかどうかも大きいですね。そう言えば、ボブ・ディランの歌でハーモニカが気になったのも、そのせいだと思います。
それとBGMですが、それでは街中は歩けないのではありませんか。大変ですね。私の場合、好きなベートーベンを聞きながら仕事をするのは不可能なのですが、バロックだとかなり大丈夫になります。ことによると音楽まで左脳で処理しているのかもしれません。
投稿: イライザ | 2016年10月19日 (水) 14時58分