きのこ雲の下からの視点
(ヒロシマ演説を読み解く――その4)
オバマ大統領のヒロシマ演説を取り上げますので、演説の文章を参照したい方は、[参考資料] を別のウィンドウで開いて頂ければ幸いです。
言葉の使い方について一言お断りしておきます。オバマ大統領の演説を比較する際には、プラハと広島とがありますので、それぞれ、「プラハ演説」「ヒロシマ演説」と書いて違いが分るようにしていますが、平和宣言等広島で行われた演説との比較の場合、「ヒロシマ演説」では混乱が生じますので、「オバマ演説」と書くことで違いが分るようにしたいと思います。
最初に取り上げるのは、第(a)段落です。
71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界が変わりました。閃光(せんこう)と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示しました。
これと、過去の平和宣言の冒頭部分で、似た表現のあるものを比較してみましょう。
先ず、1964年の平和宣言(浜井信三市長)です
19年前のこの日、広島市は、一瞬にして焦土と化し、無数の人命が奪い去られた。しかも、そのとき人体深く食い入った放射能は、今日なお、被爆者たちの生命を脅かし続けている。
浜井市長著『原爆市長』
次に、2007年の平和宣言(秋葉忠利市長)です。
運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)——静寂——阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)。
オバマ演説の冒頭部分は、最初の「空から死が降ってきて世界が変わりました」がなければ、平和宣言の一節だと言っても分らないような表現です。平和宣言もオバマ演説も、原爆の投下と原爆が作り出した生き地獄を「この街」の出来事として描いています。その場にいた被爆者の一員としての視点だと言っても良いでしょう。
ただし「空から死が降ってきて世界が変わりました」に違和感を持つのは、被爆者はその時「死が降ってき」たことは知らなかったからですし、また世界が変ったことも認識していなかったからです。
オバマ演説の採用した視点についてさらに言葉を重ねる前に、ここで掲げた視点以外のものとしてどのような可能性が考えられるのか「思考実験」をしてみたいと思います。
例えば、原爆投下は正しかったと信じ込んでいる大統領なら、次のようなことを言ったかもしれません。(ケース 1)
71年前、晴れた空に投下された原子爆弾により、卑劣な真珠湾攻撃という行為で始まった戦争は正義の結末を見るに至った。多くの死者が出たことは残念ではあるが、アメリカ合衆国の科学技術力により開発された原子爆弾は、日本人25万人、アメリカ人25万人の命を救ったことが示すように、人道的な武器だったことが証明されている。
わざわざこんなことを言うために広島に来る大統領などいないことを想定しての「思考実験」ですが、考え方が大きく違う人たちとも何とかして協力関係を作ろうとする場合には、このような試みも相手を知る上で役に立ちます。
謝罪をテーマにして、別の視点からの演説の可能性も考えて見ましょう。(ケース 2)
71年前の晴れた日に、我々アメリカ合衆国がこの地広島に投下し、その結果、多くの死者と苦しみを生んだ原子爆弾は、明らかに国際法違反であるだけでなく、究極的な悪であり、アメリカ国民を代表してここに道義的責任ならびに国際法に照らしての責任を取りたい。
結局、オバマ演説は「ケース1」とも「ケース2」とも大きく違っていますが、平和宣言とはかなり近い感じがします。それは、被爆者の視点で、つまりきのこ雲の下の視点で世界を見ているからなのではないでしょうか。「hibakusha」という言葉も2回使っています。これが重要であることは、「「被爆者」を英語で何と呼びますか?」 にも説明しましたので、御覧下さい。
さらに、客観的な歴史の記述をするときにも、被爆者だけでなく戦争の被害者の視点で、過去を捉えています。ホロコーストの犠牲者や捕虜として過酷な運命に耐えた人たちにも言及しています。
例外として第(m)段落を挙げましたが、その他にもぎりぎりセーフの個所もあります。
今回も長くなりました。そろそろ「変革の4原則」に辿り着きます。
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